新チベット仏教史―自己流ー

その9
さて、アティシャの周辺にも触れておかねばなりません。『青史』にはこうあります。
 それにつけても、総じて、アティシャがチベットに来られて、手助けは、ドムトンパが、なさいました。〔アティシャの〕お心も、彼だけに委ねられておりました。
ここにある通り、アティシャの最も信頼する弟子は、ドムトン(‘Brom ston ,1005-1064)という人物です。彼は在家信者で、正式な僧ではありませんでしたが、アティシャに後継者とされ、こう言われます。
 アティシャは、ドムに、「汝は、1つの小さな拠点を建てなさい。我が諸々の教えを、汝に、手渡すので、受取なさい」とおっしゃいました。〔それに〕対して 、「大体、私は、大した者でなく、分けても、元来在家信者としてきましたから、偉大な行為を成就することは出来かねます」と申し上げましたので、アティシャは、お口伝えで、「教義に則ったなすべき行為等を、その通りになさい。私自身が、庇護しますから、心を責める必要はありません」と仰せになりました。
こうして、ドムトンは、アティシャの教えを広めていきました。その最後の様子は、こう述べられています。
 そのような3御兄弟を始めとする多くの者を、よく、育て上げなされて、ルワデンに、9年、御滞在になり、ご自身の60歳、甲辰(きのえ・たつ)(1064年)に、涅槃なされました。
ドムトンの頃には、まだ教えの広がりはそれほどでもありませんでした。その弟子の3御兄弟と呼ばれる僧達の時代になって、その教えは急速に広まり、カダム派と呼ばれる1派が生まれました。その派は、後にツォンカパ(Tsong kha pa,1357-1419)のゲルク派につながっていきます。

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