仏教余話

その115
法相宗への批判的見方は、袴谷憲昭氏の意見に集約されるだろう。
 〔玄奘の直弟子〕基の主著『大乗法苑義林章』の冒頭によれば、この二つのテーマ〔=「性相」と「唯識」〕は、順次に、「摂相帰性体(相を摂して性体に帰す)」と「摂境従識体(境を摂して識体に従う)」とに当たるが、前者は「一切法は皆な性は真如(tathata)なり」ということを意味し、後者は「一切法は皆な是れ唯識(vijnapti-matra)なり」ということを表す。「一切法」は「相」であり「境」であるが、それらを「性」である「真如」としての最終の究極の「場所」の中で把えていこうとするの「法相宗」の基本的立場である。(袴谷憲昭『日本仏教文化史』2005,p.78,〔 )内私の補足〕
 さて、三島は言及してもいないが、ここで、ある重要な書物も、一瞥しておくべきであろう。古来より、中国・日本仏教を席捲し、玄奘にも、多大な影響を与えたであろう一書である。題名を『大乗起信論』という。 ついでに、この書は、成立がインドなのか、中国なのか、ということすら決着のつかない奇妙なものであるが、中国・日本仏教に与えた影響は、甚大なものがある。


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