仏教余話

その141
ここで、再度、思い出して欲しいのは、インド思想、分けても、インド仏教は、我々の理性の範囲を超えた摩訶不思議な思想ではないということである。そこを理解してもらうのが、この度の最大目標なのである。とはいえ、理性に抵触するようなことも、又、仏教のテーマである。例えば、先に、やや詳しく触れた、明治時代に来日したオルコットの信奉した神智学などは、現今も流行しているスピリチュアリズムとも、濃厚に関係し、文化人と認じる理性派の人々は、眉をひそめるであろう。だが、紛れもなく、19世紀から20世紀にかけての欧米諸国を席巻した運動が、スピリチュアリズムなのである。その運動の先頭を切った人物が、かのシャーロック・ホームズを生み出したコナン・ドイルと知れば、人は大いに驚くであろう。理性そのものであるかのようなシャーロック・ホームズとスピリチャリズムは、まるで水と油のように見えるからである。しかし、コナン・ドイルの後半生は、スピリチャリズムに捧げられたのである。本筋とは離れるが、ここで、頭休めのつもりで、彼の思想を追ってみよう。自らも推理小説の作家であるジュリアン・シモンズは、コナン・ドイルの伝記を著した。彼は、こう述べている。
 親しいものたちの死が引き金となって、彼に心霊論の正当性を信じさせるようになったとは言えないだろう。が、それがいっそうそれへの傾斜を深めたことは間違いない。彼がアイルランド系の先祖から受け継ぎ、彼の父親の絵にもあらわれている神秘的なるものへの関心、それは生涯を通じて消えることがなかった。それは多くの短編の素材ともまっているし、青年期に一時傾倒した不可知論から抜け出してからは、しばしば死語の生について思索にふけってきたものだった。大戦の始まったころは、まだその同調者というにすぎなかったが、『新たなる啓示』”The New Revelation”(一九一八年)で自ら語っているように、戦争ちゅうに大勢の人の死にあい、悲嘆を味わううちに、われわれの愛するものは死後もなお生きつづけているはずだとの確信に達した。(ジュリアン・シモンズ『コナン・ドイル』深町眞理子訳、1984年、p.141)
さらに、別な評伝から、いくつかエピソードを披露しよう。
 〔シャーロック・ホームズのデヴュー作〕『緋色の研究』が一段落して出版を待つまでの間、ドイルの知的好奇心は今度はちょっとしたきっかけで「心霊現象」に向けられた。患者の一人であったドレイソン将軍は著名な占星学者、数学者でもあったが、彼自身がいかに心霊主義者に転向したのかの話を聞いて、ドイルの好奇心に火がついた。それは単に、時代の流れの科学的精神に基づいた知的好奇心だけでなく、ドイル自身が意識したかどうかは別にして、カトリック信仰を放棄した後の魂の空白を埋めるものをドイルの精神が探し求めていたこと、さらにまた、深層心理としてはアイルランド人の血を引くドイルが、悪魔とか妖精とか魔女とかいう、人間の力では解明しえないものに対する好奇心にも似たあこがれを心の中に持っていたからかもしれない。(河村幹夫『コナン・ドイル ホームズ・SF・心霊主義』1991,p.62〔 〕内私の補足)
先の引用は、本格的にスピリチュアリズムに入れ込んだ時期の話だが、これは、そうなる
きっかけの話である。確かに、彼の血には、アイルランド、ケルト文化の非ヨーロッパ的なものが流れ込んでいて、神秘的なものに引かれる素地は十分にあったとはいえる。ケルト文化については、大分、後に、又、触れるが、簡単にいうと、ハリーポッターなどを生み出すような文化のことである。


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