仏教余話

その92
最後に中観を巡る謎の1つについて、少々触れておこう。チベットに中観仏教を広めた人に、アティシャという人物がいる。Atisaと表記される。この呼称が現代の学界では一般的である。しかしながら、私の若い自分には、同じ人物がアティーシャと呼ばれていた。最近ではアティシャという呼び方に疑問を呈する研究者も現れた。宮崎泉氏は、こう述べている。
 「アティシャ」という呼称はEimer〔アイマー〕が主張したものであり(H.Eimer[1977],Berichte uber das Leben des Atisa,Asiatische Forschungen,Band 51,Wiesbaden,pp.17-22)〔「アティシャ伝に関する報告」〕、本稿もひとまずそれに従った。Eimer以前はチベット語の音写Atisaから想定される「アティーシャ」を用いることが一般的であった。Eimerは、その意訳「phul du byun ba」〔優れたもの、完成したもの〕から想定される〔サンスクリット語の〕「atisaya」を通じて「Atisa」という尊称が可能であると結論付ける。筆者には尊称としては「アティーシャ」の方がふさわしく感じられ、今後再び結論が修正される可能性もあると考えているが、チベット語の音写に「アティーシャ」という形は見つからず「アティシャ」と音写されるのが普通であるのは確かなので、本稿でも「アティシャ」を用いることとした。(宮崎泉「アティシャの中観思想」『シリーズ大乗仏教2 大乗仏教の誕生』2011所収、p.162の注(1),〔 〕内私の補足)
名前すら曖昧なのが現状である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?