新インド仏教史ー自己流ー

第3回 シャカの時代
その1
前回見たように、シャカの時代には沙門と呼ばれる自由思想家達が闊歩(かっぽ)していました。自由と言っても、反バラモン・反ヴェーダ位の意味に理解すればよいと思います。概説書によると
 最も重要であり著名なのは、仏教徒が「六師(ろくし)外道(げどう)」とよぶ人たちである。「外道」とは、仏教から見ての異端者(いたんしゃ)の意味である。・・・これら六人のうち、奴隷(どれい)の子として牛舎(ぎゅうしゃ)に生まれ、一生のあいだ裸(はだか)ですごしたプラーナ・カッサパは、徹底的な道徳否定論者で、虚言(きょげん)・略奪(りゃくだつ)・姦通(かんつう)・殺人(さつじん)も悪とは認めなかった。アジタ・ケーサカンパリンは、知られるかぎりでは最も古い唯物(ゆいぶつ)論者(ろんしゃ)であり、地・水・火・風の四元素のみを実在と認め、霊魂(れいこん)の存在を否定した。パクダ・カッチャーヤナもまた唯物論者で、原子論を説いた。サンジャヤ・ペーラッチブッタは、善行(ぜんぎょう)・悪行(あくぎょう)の果報(かほう)や来世(らいせ)などの問題について判断することを拒否する懐疑(かいぎ)主義者(しゅぎしゃ)であった。・・・マッカリ・ゴーサーラは、運命によって決定していることは、変更しえないのだと信ずるようになった。彼の説は、徹底した決定論・宿命論(しゅくめいろん)である。・・・ジャイナ教の開祖マハーヴィーラ(大雄)は、本名をヴァルダマーナといい、ジナ(勝利者)と尊称(そんしょう)された。また六師のひとりとしてニガンタ・ナータプッタの名でよばれている。・・・彼の教義の中心をなすのは、当時の思想界の趨勢(すうせい)から推(お)して、輪廻(りんね)と解脱(げだつ)に関する説であったと考えられる。・・・さまざまの苦行(くぎょう)が出家者(しゅっけしゃ)には課せられる。開祖のマハーヴィーラが餓死(がし)したのにならって、しばしば断食(だんじき)を行い、死に至ることもある。(長尾雅人『世界の名著 1 バラモン教典・原始仏教』昭和54年、pp.28-32、ルビほぼ私)
確かに、一切の思想的しがらみを離れた自由思想家達であったとは言えそうです。しかし、
彼らの周囲には、ヴェーダやウパニシャッドが正統として君臨していました。その点は
忘れないでもらいたいと思います。
 さて、六師外道は意外な形で仏教に関わって来ます。有力な仏弟子は、ある六師外道から
仏教に改宗しました。髙木氏の説明を引用しましょう。
〔仏弟子〕舎利(しゃり)弗(ほつ)は目連(もくれん)とともに、当初は〔ブッダの同時代人〕遍歴(へんれき)行者(ぎょうじゃ)サンジャヤ(Sanjaya)の弟子であった。帰仏後(きぶつご)の舎利弗が智慧(ちえ)第一(だいいち)と呼ばれ、主だった諸弟子の中にあっては、ゴータマ仏陀(ぶつだ)にかわって最も多く法を説き、しかも仏陀の後継者(こうけいしゃ)と目されていた事実からすれば、初期仏教の思想と実践のいくつかは、舎利弗を媒介(ばいかい)として、その先師(せんし)サンジャヤの思想ともかなり密接(みっせつ)なかかわりを有していた筈(はず)である。(高木訷元「舎利弗の帰仏」『初期仏教の研究 高木訷元著作集3』平成3年所収、pp.90-91、ルビ・〔 〕私)
サンジャヤは、上で見たように、懐疑(かいぎ)論者(ろんしゃ)で不可知論(ふかちろん)を説いたとされます。彼の議論は「鰻(うなぎ)
のごとき、とらまえどころのないすりぬけ論」(amara-dvikkhepa)と揶揄(やゆ)されていました。
宮本啓一氏は、サンジャヤについて、こう述べています。
 彼は「来世はあるか」との質問に、「もし私が『来世はある』と考えたなら、あなたに『来世はある』と答えるであろう。しかし、私はそうだとは考えない。そうかもしれないとも考えない。それとは違うものだとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではいとも考えない」と答えたといいます。彼は、形而上学的(けいじじょうがくてき)な事柄について質問されたときには、いつもこのように答えました。この議論は、どうにも捕らえどころがないものであるため、「鰻(うなぎ)論法(ろんぽう)」と名付けられました。いわゆる判断中止によって心の平安を得ようとしたものと思われます。(宮本啓一『インド人の考えたことーインド哲学思想史講義』2008,p.60、ルビ私)
そのサンジャヤの弟子であったのが舎利弗なのです。高木氏は、以下のような興味深い記述を行っています。
 仏教が始めて〔「~がある」・「~がない」・「~がありまたない」・「~は表現出来ない」という〕四句分(しくふん)別(べつ)の論理を採り入れたのは、サンジャヤかあるいは彼をも含めた懐疑論者たちからであったろう。この点に関して、詳細な論証がすでに宮本(みやもと)正尊(しょうそん)博士によっておこなわれている。そこでは、仏教の四句分別にサンジャヤの不可知論の影響を認め、しかも中(ちゅう)観派(がんは)の空(くう)の論理がサンジャヤの所説(しょせつ)とそれ程距(ほどへだ)ったものではないことが指摘されている。その場合、舎利弗の先師(せんし)が不可知論者のサンジャヤであったとすれば、仏教がその説を採用したのは当然、舎利弗を媒介としてのことであったろう。われわれはこの他にも、さきに見たサンジャヤの所説のゴータマ仏陀の無記説(むきせつ)と軌(き)を一(いつ)にする思潮(しちょう)を読み取ることもできる。言うまでもなく、無記説の根底(こんてい)には形而上学的な知のみの追求は涅槃(ねはん)にとって利益なく、単なることばの虚構(きょこう)にすぎぬとする立場がある。…こうした不可知論の根底には人間の経験と認識の主観性、知識は有限(ゆうげん)で一面的なものにすぎぬという相対的(そうたいてき)論理(ろんり)への志向(しこう)があったと思える。そうした点で、サンジャヤの不可知論、ジャイナのスヤードヴァーダ説〔=相対論〕、仏教の四句分別は同じ思潮に属するものとみることもできるであろう。(高木訷元「舎利弗の帰仏」『初期仏教の研究 高木訷元著作集3』平成3年所収、pp.97-98,ルビ・〔 〕私)

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