新チベット仏教史ー自己流ー

その7
彼が教えを説き始めた姿は、以下のように伝えられています。
 そこで、〔アティシャは〕、法王と他の多くの者に、極、秘密裡(ひみつり)に、沢山の入門の儀式(灌頂(かんじょう))をお授けになりました。忠告も、沢山なさいました。法王は、「チベットに法に適っていない、あれこれの如きものが、ございますからそれらの防御(対治)となる何らかの論書
をご執筆〔下さい〕。」と懇願(こんがん)なされたので、『菩提(ぼだい)道(どう)灯論(とうろん)』(Byang chub lam gyi sgron ma,Bodhipathapradipa)という三士(skyes bu gsum)の道の階梯を説くものそれをお書きになりました。〔アティシャは、以下のように〕、「先ず、小士の実習は、死を想起
することであり、今生(こんじょう)から、心をそらすこと等がないならば、〔即ち、現世の生に拘らず、死をみつめることがないのならば〕、法を行ずる者の中には、入ることは出来ないものである。心身を構成しているもの(蘊)を、自分であると執着するならば、解脱は得られない。〔更に〕、菩提(ぼだい)心(しん)を起こさないのなら、大乗(だいじょう)道(どう)に入ることは出来ない。その大乗道も、方便(ほうべん)と智慧(ちえ)を併せ持たないのならば、空性(くうしょう)のみを修業するので、成仏しないのである。」とお言葉を賜ることによって、過失ある修業を主張する者達の驕り(おごり)を一掃したのです。・・・〔性的〕な瑜伽(と〔呪殺による〕解脱等は、正しくないと獅子吼(ししく)なさったのです。業・果に重きを置かれましたので、業・果論の賢者というとも、喧伝(けんでん)されましたし、そのように、評判になっていることをお聞きになって、〔業・果という〕名前だけでも、他を利することがある。それだ。」とおっしゃって、ご満悦(まんえつ)でありました。
アティシャの布教が広がっていったことが伝わる記述です。中に、『菩提(ぼだい)道(どう)灯論(とうろん)』という著作が出てきます。この書は、アティシャの主著とされ、今でも現存しています。望月(もちづき)海(かい)慧(え)という研究者が、全訳の和訳を出版していますので、興味のある方はご覧ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?