新チベット仏教史ー自己流ー

その5
さて、ここからアティシャがどうしたか、次にそれを見てみましょう。
 ギャツォンセンゲーは、〔こう述べました〕。「以前(sngar)チベットでは、取り分け、尊い教えが、ありました。〔それが、吐蕃の〕ランダルマ(Glang dar ma)によって、排斥されたのです。それから、多くの年月が、経過した時に、偉大な師の恩恵のお蔭で、僧団は、叢生(そうせい)したのでございます。それらの僧達に、〔三〕蔵の大なる智者はおりますけれど、〔三〕蔵を、実践として、樹立することはかないません。今や、チベット王の御意向を充たし、出家者達に、法の実践を樹立する〔お手を取って、植え付ける〕ことが出来ることどもは、アティシャご自身が、お出ましになれば、幸いとなるのです。他の賢者では、利するのは、困難でございましょう。」〔これ〕等の請願は、琴線(きんせん)を打つこと大なる願いでしたので、アティシャのお口から、〔以下のお言葉が発せられた〕。「汝よ、もっともなことだ。我がために、チベット王の莫大な黄金ももらされた。お迎えの沢山の人として現れた者も、暑さに斃(たお)れた。チベット王に対して、私も、呵責(かしゃく)の念(ねん)がある。さて、我らが、思案してみて、チベットに利するならば、何としても行く。さりとて、ヴィクラマシーラの上座が、我らを捨て置くのは、難しいのだから、何らかの妙案を編み出さねばならない。そこで、ナクツオ自身も、「我らを招請する」という話を語らずに、「遊学にまかりこしました」という話で以て、「遊学なさいませ」と〔アティシャに〕おっしゃられるままに、〔ナクツォ〕翻訳官は、遊学しておりました。それから、アティシャは、本尊神と金剛座における悉地(しつち)の瑜伽母(ゆぎゃぼ)がおりました〔ので〕、彼らに、問い掛けをなさったことで、〔本尊〕神と〔瑜伽母たる〕空行母は、口を揃えて、「何が何でも、チベットへ行け」「概して、教えについては、利するところがあろう。特に、ある在家信者に頼って、利するであろう。寿命は、二十年短くなる。」とのお言葉を告げられ、〔アティシャは〕、教えと有情を利するのならば、寿命が縮むのも、安いことだとお考えになり、御出立の準備をなされました。
こうして、アティシャのチベット行きは、実現されたのです。

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