仏教豆知識

その7
エマーソンの最大の魅力は、どうやら講演にあったようです。最後に述べておきたいと思いますが、彼らを讃える人ばかりではありません。前田禮子(まえだれいこ)氏は、こう指摘しています。
 ソロー(Henry Thoreau,1817-1882)は、超越(ちょうえつ)クラブに所属して、また独自に、自然と一体になるようひたすら努力し、著述も多く残している。エマソンの説を信奉し実践に生涯(しょうがい)を捧げたが、結果として、ソローは、超越者にはなれなかった。隠遁者(いんとんしゃ)ではあったが、超越主義思想の奇跡は起こらなかったからである。ソローには、神秘者としての発現(はつげん)はなかったのである。(前田禮子「アメリカの超越主義思想 マックス・ミューラーの宗教学成立の周辺―エマソンとの関わり他―」『追手門学院大学人間学部紀要』第18号、2005年、p.4ルビ私)
このような否定的な見方もあるというわけです。もう1つ、ソロー批判を示しておきましょう。先に大いにソローを持ち上げた、鈴木大拙の意見です。
 担々(たんたん)彼の一生には今日も尚(なお)一種の響きを以(もっ)て吾(われ)等(ら)の耳を打つものがある。それは彼が今日の機械文明・集団統治に対する反抗である。而(しか)して彼はこれを東洋の精神主義から得て居(い)るところに、吾等をして一顧(いっこ)せしむるものがある。…経済の機構も政治も国際機関も著(いちじる)しくその複雑性を増して来た。それで、ソーロー的、仙人的、絶対個人的逃避(とうひ)では間に合わぬところも沢山ある。此処(ここ)に吾等の大いに工夫(くふう)すべき点が見えるのである。(「今後における個人的自由の問題と仏教」『鈴木大拙全集』別巻一、昭和46年、pp.446-448、初出『信道』8-7昭和8年(1933年)、ルビ私、一部現代語標記に改める)
 

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