仏教余話

その215
少々、仏教の話題とはずれるが、哲学者和辻を育んだ様子を、紹介しておこう。何度もお世話になった今西博士の著書に、随分と興味を引く記述がある。以下の如し。
 『自叙伝の試み』によると、当時の和辻哲郎は「バイロンのような詩人になりたい」という願望をもっていた。…明治三十六年五月、藤村操が華厳の滝に身を投じた事件は、中学三年の和辻少年にも深刻な衝撃を与えた。藤村は「万有の真相は唯一言にして悉くす、曰く『不可解』。我この恨を懐て煩悶に死を決するに至る」と「厳頭之感」に記して身を投じたが、和辻哲郎は『自叙伝の試み』において「厳頭之感」全文を引用して次のようにいう。
  幼稚であったわたくしに、人生の意義についての反省を呼び起こしたのはこの藤村操の文章であった。わたくしはその年の夏休みに、毎晩のように涼み台の上に寝転んで空の星をながめながら、あの文章を思い出していた。不可解、煩悶といふような言葉が、くり返しくり返し意識の表面に浮かんで来た。春以来萌していたあの不満の気持ち、現実への底の知れない不満の気持ちが、こうして人生の意義についての反省と結びついていったのであった。
 …〔しかし、別な場面では、和辻は〕「万有の真相は不可解なり」という藤村操のテーゼを拒否しようとしている。美の意識は疑いようもない直接的な事実である。和辻少年はこの美の意識に自己存在の確かな根拠を求めようとしている。このことは言い換えると、詩の言語的表現がそこから生まれ出て来る根源への目覚めを意味するであろう。極限の自己存在、あるいは根源的詩魂の感情は、漱石が明治三十八年に発表した『倫敦塔』に対する読み方に端的に示されている。
 翌三十八年の一月に、同じ『帝国文学』で、大した期待も持たずに『倫敦塔』を読み始めた時には、突然非常なショックを感じた。私は強い力であの作の中に引き込まれ、それまでのかつて感じたことのないような烈しい陶酔感に浸った。…
 和辻哲郎が陶酔感、恍惚感の語を用いていることは注目される。一般に漱石文学の読み方は様様であるが、和辻哲郎の読み方は漱石の本質を突いていると言ってよいであろう。第一高等学校入学当初は文学を志望していたが、哲学に志望を変更することになる。その直接の契機は同郷の先輩魚住景雄の「自分を衝き動かしているのは人生問題である。人生に意義を知ることが自分にとっての学問の目標である」という助言であった。これがそのまま和辻哲郎の課題となったが、それはまたとりもなおさず漱石の課題でもあった。(今西順吉『漱石文学の思想 第一部 自己形成の苦悩』1988,pp.211-214,〔 〕内は私の補足)

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