新チベット仏教史―自己流ー

その9
さて、これまで、因明という観点からツォンカパを見てきました。やや違った観点から、彼を描いてみました。次に、オーソドックスな説明も加えておきましょう。山口(やまぐち)瑞(ずい)鳳(ほう)氏の名著『チベット』では、こう述べられています。
 ツォンカパは顕教・密教二つの分野でかねてからの懸案(けんあん)にチベット仏教としての結論を出すために登場した。・・・顕教については完全なかたちで中観帰謬(ちゅうかんきびゅう)論証派(ろんしょうは)の立場を確立した。他方、当時のタントラ仏教〔=密教〕は、顕教の教団に取り入れやすいようにさまざまに手を加えられていたので、チベットの教団の誰であれそれを無視して「悪魔の所説」として斥(しりぞ)けることは、アティーシャの時代よりはるかに困難になっていた。・・・ツォンカパはタントラ仏教をこばむことこそできなかったが、タントラ仏教の立場にさまざまな制約や変更を強いて、それを中観帰謬論証派の趣旨(しゅし)を容(い)れて特殊な禅波(ぜんは)羅(ら)蜜(みつ)の地位を受けもつものでしかないように改革してしまったのである。(山口瑞鳳『チベット』下、pp.283-284,ルビ・〔 〕私)
呪術等を多用する密教は、正しい仏教であると言えるのか否かは、インド以来解決を見ない難題でした。ツォンカパの最大の功績は、それを解決したことにあるとされています。その時、解決の鍵を握ったのが「中観帰謬論証派」という中観派の1派の思想と指摘されています。先に、チャンドラキールティ流の教えとして紹介したものこそ、中観帰謬論証派なのです。前に述べたように、この教えの最大のポイントは「因明への懐疑」にあります。帰謬論証とは通常の論証法を使わないで、空・無自性を論証しようとするものなのです。徹底的な空、つまり空・無自性という判断さえも否定するような判断停止を是とするように見えます。その場合、不可解な要素の多い密教も判断停止に飲み込まれるでしょう。しかし、ツォンカパは、判断停止を否定しました。その時、顕教と密教をどうつなぐのか、私にははっきりしません。中観帰謬論証派の支持は、ツォンカパの政治的な選択で会って、宗教的なものではないとさえ思えます。このように、わからないことがまだ山ほどあるのですが、この時代がチベット仏教の黄金時代でしょう。果敢にツォンカパに論争を挑んだ、サキャ派のコラムパ(Go ram pa1429-1489)やシャーキャチョクデン(Sakya mchog ldan,1428-1507)との論争は、圧巻です。1例だけ、ここで使った文献と対比して、両者の論争の様子を、見てみましょう。シャーキャチョクデンは、『倶舎論』注の中で、ツォンカパの『量の大備忘録』の記述を意識して、こう反論します。
 ここ〔『倶舎論』「賢聖品」第4偈〕で説明している〔二諦説〕と、『量評釈』〔「知覚」章〕で「勝義の目的達成能力を持つものは、何であれ」と説明することに〔つまり両者の二諦説に〕いささかの違いもあるものではないのである。
ちなみに、現代の研究者は、シャーキャチョクデンの見解を正しいとし、ツォンカパ説は異端であると見る傾向があります。


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