仏教余話

その201
高木博士の考察を、更に、追ってみよう。博士はいう。
 舎利弗の帰仏をうながした直接の動機が因縁生の偈にあったことは、すべての資料が一致して伝えているところである。…因縁生の偈が舎利弗との関係のみで説かれる事実からみて、そこにこそ、われわれは舎利弗の思想的特色を見ることができるのである。〔原始仏教の〕『マハーヴァストゥ』において、舎利弗との関係で述べられる諸命題は仏教全体に通じる基本的な教説であるとともに、それはまた大乗仏教の核心ともなるべきものでもある。縁起せるものの無我性と空性の主張、および般若波羅蜜の証得は『マハーヴァストゥ』自身の性格を示していると同時に、また舎利弗の思想と実践とが『般若経』へと展開してゆく素地を有するものであったことを思わせる。とすれば、舎利弗の帰仏が仏教史の上で占める比重は極めて大きなものであったと言わねばならない。(高木訷元「舎利弗の帰仏」『初期仏教の研究 高木訷元著作集3』平成3年所収、pp.101-103)
これを読むと、仏教は、舎利弗教とでも、名を変えた方がよいようにさえ思える。仏教を様々な切り口から、眺めると、また、違った風景が見えて、従来のイメージが変わる。誰が、本当のことを語っているのか、判断に迷う。いずれにしても、先入観を離れ、どの説が説得力があるのかを、自分の目で確かめる他ないのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?