「倶舎論」をめぐって

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このような風潮があるとはいえ、一直線にダルマキールティに向かうのは得策ではない。先人たる、世親・ディグナーガを知らずして、ダルマキールティが理解出来る道理はないのである。思想的れを踏まえて、夫々を比較するのが望ましい。最初の頃に触れた、アビダルマ思想史という観点が
必要であろう。ここでは、1例だけ出して、この問題の歴史性を感じてもらいたい。世親は「滅無因説」を唱って、刹那滅を説いた。この説は、ダルマキールティが別種の説「存在性による刹那滅」を提唱してから、表舞台から姿を消すようになる。だが、ダルマキールティは、新機軸を打ち出す前に
は、はっきりと世親の「滅無因説」を意識していた。彼の転換点となったといわれる『量決着』Pramanavinscayaを引用し、その様子を見てみよう。こういう1節がある。
 今や、どうして、作られたもの(krtaka)は、必ず、無常(anitya)なのか いわなければならない。一体、何に基づいて、このように、述べられているのだろうか?なぜなら、
  無原因(ahetutva,rgyu med)の故に、消滅は、自分自身(svabhava,rang gin go bo)からもたらされる。
 実際、存在するもの(bhava,dngos po)が、消滅している時、それが起こる際、〔自分以外の〕原因に頼ることはない。自己原因からのみ、消滅があるからである。従って、何らかの作られたもの、それは、須く、本来(prakriti,rang bzhin)的に、消滅するのである。
  katham idanim krtako ‘vasyam anitya iti pratyetavyah/yenaivam ucyate/
yasmad ahetumadvad vinasasya svabhavad anubadhitah/
na hi bhava vinasyantas tadbhave hetum apeksante/svahetor eva nasvaranam bhavat/tasmad yah kascait krtakah sa prakrtyaiva nasvarah/(Dharmakirti’s Pramanaviniscaya chapter 1 and 2 ed.by E.Steinkellner,Beijing-Vienna,2007,p.76,l.11-p.77,l.1サンスクリット原典ローマ字転写)
 da ni gang gis de skad du brjod par gyur ba byas pa gdon mi
za bar mi rtag pa o zhes ji ltar bshad par bya zhe na/’di ltar
rgyu med phyir na ‘jig pa ni/rang gin go bos rjes(brel nyid/)
dngos po ‘jig pa de’i ng obo rgyu las ltos pa ma yin te/rang gi rgyu kho n alas ‘jig pa’i ngang can du ‘byung ba’i phyir ro//des bas na gang cung zad byas pa de ni rang bzhin gyis ‘jig pa’i ngang can yin no//
(E.Steinkellner,Dharmakirti’s Pramanaviniscayah Zwites kapitel:svarthanumanam,Teil I,Wien,1973,p.72,ll.14-22
チベット語訳ローマ字転写)
この文章に関して、赤松明彦氏は、こう述べている。
 実際、作られたもの、生み出されたものが滅するのは経験的に知られる事実である。しかし、この経験的事実から「およそ作られたものは滅するものである」という必然性を導き出すためには何は必要であろうか。そこで、ダルマキールティは、もし消滅が何か他の外的な原因によって起こってくるものであるならば、その原因がなければ消滅はないのだから、もの消滅の必然性が保証されないことになる、消滅の必然性を保証するのはただひとつ、消滅がそのもの自身のうちにある原因に依存して、他の外的な原因をもつものではないということ以外にはないと考えたのである。そこで、今度は、消滅の「無原因性」の論証が重要な課題となる。(赤松明彦「ダルマキールティの論理学」『講座・大乗仏教9-認識論と論理学』昭和59年、p.206)
そこで、この論証がダルマキールティの課題となっていくのである。ただ、発端は明らかに、世親である。なぜなら、『倶舎論』「業品」では、以下のように言明しているからである。
 諸存在の消滅は、実際、無因(akasika)である。(akasmiko hi bhavanam vinasah,Sasrri ed.p.448,l.21)
これを補正する形で、ダルマキールティが継承し、刹那滅論が展開されていった、ことは肝に銘ずるべきである。

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