仏教余話

その225
では、話を戻そう。その後、『チベットの死者の書』は、忘れられてたが、ベトナム戦争の頃、1960年代に、反体制派のヒッピーと呼ばれる若者が、『チベットの死者の書』に関心を示した。理由は、2つある。第1の理由は、その書によって死の恐怖を逃れるため。『チベットの死者の書』には、死後の世界が描かれているので、そういうこともあり得たであろう。第2の理由は、その死後の世界の様子が、ドラック体験の世界とよく似ていたためである。その2つの理由で、『チベットの死者の書』は、ヒッピーのバイブルになった。このヒッピーの中から、チベット仏教研究者も生まれた。これが、第2次ブームである。そして、ダライ・ラマ亡命後、世界中に広がったチベット仏教は、そのダライ・ラマがノーベル平和賞を受けたのを頂点として、今に至っている。
 日本では、アメリカの影響で『チベットの死者の書』が訳されたり、NHKで取り上げられたりして、やはり、ブームは起こった。しかし、オーム真理教事件で、チベット仏教との関係が指摘されたりして、ブームは下火になった。こう見てくると、『チベットの死者の書』が常に、重要な役割を果たしていることがわかる。松本史朗博士は、このような動きに関して、鋭い提言をしている。それを紹介しよう。
 チベット仏教というと、今日の日本では、その神秘的密教的側面のみを強調し、これを無批判に礼賛する傾向が認められる。このような傾向は、一九六○年代アメリカのヒッピー世代における『チベットの死者の書』の流行に端を発しているように思われるが、一九八一年に『虹の階梯、チベット密教の瞑想修行』なる本が平川出版社から刊行されたとき、筆者は、このような傾向がついに日本にも輸入されたと感じた。(松本史朗『チベット仏教哲学』1977,p.403)
また、博士は、チベット最大の宗派、現ダライラマの属するゲルク派の僧侶の言葉にも言及する。その僧侶は、日本でチベット仏教を教える、ツルティム・ケサンという人物である。ツルティム氏は、『チベットの死者の書』が飛んでもないまやかし本であることを暴き、こう締めくくっている。
 私は本書の和訳によって、チベットに関心を持たれる日本の読者がチベット仏教の全てを〔『チベットの死者の書』を作り出した〕ニンマ派と同様のものと誤解されないことを切に期待する。否むしろそれ以上に本書によってニンマ派の非仏教性を理解し、本来の仏教の在り方を考えて頂くための一助にして下さることを念願する。というのも私が尊敬し愛して止まない日本及び仏教界に於いても、しっかりとした学問研究を軽視し、俗受けする安易な思想でこと足れりとする風潮が相当根強くはびこってきており、それが延ては様々なまやかしの宗教の蔓延を温存し助長する一因となっているように思えるからである。(ツルティム・ケサン「書評『チベットの死者の書』」『仏教学セミナー』51,1990,p.88)
確かに、現在、チベットが置かれている状況を考慮すれば、俗受けでも何でも、世間の注目を集めた方が有利なので、『チベットの死者の書』ブームは、政治的に利用する価値はある。しかし、それが、チベット仏教全体を示すものとして扱われるならば、大いなる誤謬であろう。チベット仏教は、極めて、理性的・知性的な面が強く、たとえ、神秘主義的な顔を見せたとしても、強力な知性的裏付けがあっての話なのである。



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