仏教余話

その228
さて、ついでながら、チベット仏教についても、簡単に触れておこう。概して、チベット仏教は邪教的イメージで認識されることが多い。確かに、密教的秘儀の占める割合は、日本仏教に勝るであろう。しかし、チベット仏教の全体像は、我々が思う以上に、論理的な側面が強い。今日、インド仏教学の研究者で、チベット仏教を利用しない者がいれば、それはもぐりの学者であるといってもよい。中観・唯識・アビダルマ・仏教論理学といった教理を理解するために、チベット人の智慧は不可欠である。事情に詳しい、小野田俊蔵氏は、こう述べている。
 その資料的な価値にも増して研究者たちを驚かせたのは、それらの文化や技術を継承するチベット仏教の人びとの、人間としての完成度の高さである。当初、研究者たちは彼らを単にインフォーマント(情報提供者)として接していたが、交流を深く持つにつれて、彼らの知識の完成度に畏敬の念を抜きにして接することが不可能であると感じていったのである。本来なら研究をサポートするような任務に着くことなどなかったと想像される第一級の宗教者・哲学者に、直接に接した研究者の素直な感想であろう。そして若い研究者たちの中には、彼らを情報提供者としてではなく、彼らを師と仰ぎ、その指導の下で訓練を受けて、より深い理解を得ようとした者がいる。(小野田俊三「チベット仏教の現在」『新アジア仏教史09チベット 須弥山の仏教世界』平成22年所収、p.260)
小野田氏は、この後、具体的な研究者の名前を挙げている。その名とは、ジェフリー・ホプキンス(J.Hopkins)、ロバート・サーマン(R.Thurman)ジーン・スミス(J.Smith)、デイヴィッド・ジャクソン(D.Jakson)、トム・ティルマンス(T.Tillemans)、ジョージ・ドレイフィス(G.Doreyfus)、ホセ・キャべゾン(J.Cabezon)、ロジャー・ジャクソン(R.Jakson)である。これらの研究者は、チベット語資料を駆使して、学界の最前線で活躍している研究者である。
 

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