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年末シャーマニズムワーク(2)植物、草食動物、肉食動物になる

承前

二つ目のジャーニーは、ほかの三人の参加者はまだ経験したことのない「水滴の旅」をすることになった。
僕はその旅はもう経験済だったので(マガジン「シャーマニズム他」参照)、濱田氏がアメリカで指導者に習ったのとは別に創作した次のようなワークをすることになった。

まず最初に植物になってください。そして土の中の水や養分、空気、日光を摂取してそれが自分自身を形づくっていくのを感じてください。
次に草食動物になってください。そして草を食み、植物が自分の血や肉となっていくのを感じてください。
最後に肉食動物になってください。そして草食動物を狩猟して食べ、それが自分の血や肉となるのを感じてください。

僕は質問した。
どうして植物として、草食動物に食べられる局面、すなわち死して別のエネルギーに変換していく局面は経験しようとしないんですか。
どうして草食動物として、肉食動物に食べられる局面、すなわち死して別のエネルギーに変換していく局面は経験しようとしないんですか。
どうして肉食動物が死ぬ局面、たとえば年老いたライオンが縄張り争いに負けるときが来て、ハーレムを若いライオンに奪われる雄ライオンの最後や、人間に射撃されて死ぬ局面は経験しようとしないんですか。
すでにご存じのように僕は何かが自分というエネルギーになるという局面より、自分が滅尽していく局面、死んで循環したり、空(くう)に還っていく局面にもっと興味があります。

すると、濱田氏は「それはおもしろい試みですね。やってみましょう。そして・・・申し訳ないけれど、そのアイディアは今後盗ませていただくかもしれません」と言った。

それで私は、それぞれの存在の「死」も、食べる側からではなく、食べられる側から経験してみることになったのである。

ジャーニーは、土の中で種が割れて双葉が日の光を浴び、茎を伸ばして葉を広げ、花を咲かせて種を散らせ、草原がどんどん広がっていく場面から始まった。
土の養分や水を吸い上げ、太陽の光を思い切り浴び、植物は見渡す限りの草原となった。
その気持ちのよい日光浴、様々な成分や日の光が自分の血肉となっていくのを私は植物自身の内部から感じた。

やがて草食動物がやって来て、草を食み始めた。草原の仲間の一部がそのように死して、草食動物の血肉の一部となっていくとき、私はそれをただただエネルギーの変換として受け止めていた。痛みや悲しみはなかったような気がする。
特筆すべきことは、そうやって草食動物の体の一部となったかつての植物と、その周囲に植物として生き続けている存在は、エネルギーの次元で繋がっていて、仲間としての一体感を失っていなかったという点だ。

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