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中川れい子さん『一三分間、死んで戻ってきました』のご感想

中川れい子さん(NPO法人タッチケア支援センター理事長/エサレン®ボディワーク/「みんなのセルフタッチング」著者/TOUCH in GRACE /WSリトリート企画/)がfacebookのご自分のサイトに感想を書いてくださいました。
中川さんを信頼され、中川さんが良いというのなら読もうと思われた方が多いのでしょう、この感想公開のあと、売り上げがよく伸びています。
魂のこもったありがたいご感想に感謝いたします。
ご本人も許可を得ましたので、noteにも公開させていただきます。

(以下引用)


13分間、死んで戻ってきました~臨死体験と生きることの奇跡~」先週読了しました。久しぶりに魂の書と出会えたように感じます。真実の書、いえ、真正(authentic)な書と呼ぶべきでしょうか。週末の奈良飛鳥でのGRACE研修会の余韻を受けながら、少し綴ります。

筆者の長澤靖浩さんと出会ったのは、3月3日の「片桐ユズルさんを偲ぶ会」の懇親会会場で。一番最後にお話させていただいた方です。その日はユズル先生のご縁で多くの方との再会と出会いがありましたが、大勢の方と十分に会話を楽しんだあと、ふっと空白が生まれたとき、なんとなく長澤さんと目があいました。長澤さんは電動車いすでのご参加。何気に言葉をかわしたあと、長澤さんは私に長澤さんご自身のインタビュー記事の掲載された「名前のない新聞」をくださりました(以前、ユズル先生もご自身のインタビュー記事ののったこの新聞をくださったのを思い出します)

帰りの京阪電車で、このインタビュー記事を読みました。それは、長澤さんご自身の2013年に体験された”臨死体験”についてのお話です。これを読み長澤さんになんとか連絡をとらなければと思いました。そして、facebookですぐにつながり、ご著書の「13分間、死んで戻ってきました」を購入することができました。

この本は、2013年の長澤さんご自身の”臨死体験”について、その体験から導かれた”生きることの奇跡”を綴られたものです。長澤さんの臨死体験は、三途の川が見えたり、お花畑の向こうにご先祖様が現れたり・・・というのではありませんでした。

本著の中で「端的に散文によってそのイメージをできるだけ簡潔に説明すると次のようになります」と長澤さんは綴ります。

「そこには、ただただ広大な宇宙が広がり、無数の星々が集いていました。それは完全に透明で静かな『永遠の今』でした。何物にも碍たげられることのない覚醒が宇宙の隅々にまで行き渡っていました。その覚醒はすべてのものに澄み渡り、貫き、透き通っていました」

・・・それだけで伝わればよいのですが、これでは、同じような体験のある人以外には、なかなか伝わらないのではないかという想いもあります・・・(と、続きます)

が、私は、これが真実だとすぐにわかりました。

臨死体験という生死の境を超えて、その時の後遺障碍で今なお現実社会とむきあう長澤さんと同じ体験だというのはほんとうに申し訳ないのですが・・。しかも、私の場合は”瞑想リトリート中のボディワーク体験”という、長澤さんと比べるとなんともお気軽な状況の中で起きたので、同じというのは憚れますし、どの体験も唯一無二で、その人にしかわからない質量をもっているものです。「同じ」とか「よく似た」とか「わかる」という表現が甚だ失礼であるのは痛いほど理解できるのですが、それでも、私はあえて言いたくなりました。

「長澤さん、わかりますよ・・・」と。そして「よくぞ、ふたたび生を得て、この本を書いてくださいました」と。

私に”それ”が起きたのは、2001年の5月の山梨県の山の中のとある禅院で、生まれて初めてのサイレンス瞑想リトリートを体験中の5日目に、ボディワークを受けていた時でした。突然、とてつもない光が下から突き抜けていき、言葉では言い表せないような巨大な恍惚に包まれて、身体そのものが消えたかのように軽くなっていきました。そして、そのあと数日間の意識の状態が、過去も未来もなく私とあなた、自分自身と自然や世界との境界線がなく、すべてがひとつながりあい、分離も疑念もなく、内側からとめどない歓喜があふれてくるような状態が数日続きました。

ただ、その体験のあと、信用できる数名の方には伝えたものの、だんだん人に語るのが危険だと感じて、語ることをやめてしまったのです。

語ってもわかってはもらえない。

これ以上語ると、うそをついていると思われる。

下手すると、精神病院にいくことを勧められてしまう。

後でわかったのですが、いわゆる”神秘体験”とか”至高体験”とか呼ばれるものなのでしょうが、これは、決定的に”一人称の体験”なので、他者には永遠に理解してもらえない体験なのだと思います(中世ヨーロッパではこのような体験をしたと言えば、異端審問にかけられて罰せられていたのでしょう)

そして、私は当時はそうした業界のことをあまり知らなかったのですが、どうやら、このような体験は”悟り”や”解脱”とつなげられやすく(そういうのってすごく不思議な現象だと思うのですが)、スピリチュアルな階級や階層のような物差しで干渉を受けて、その視点から激しくジャッジ、時には敵視されるような現象が起こりやすいようなのです。あの”永遠のいま””分離のない次元”からみると、ほんと馬鹿馬鹿しい限りなのですが。

それに、そういう体験をしたからって、自分自身が何か変わるわけではありません。人の過去生が見えたり、オーラが透視できたりするようになるわけでもなく。そして、その状態は長く、ずっと続くわけでもなく、そして、日常が再び戻ってきます。

私は、同じような体験を再びしたいと願い、その後も瞑想リトリートに参加し瞑想修行を続けていきましたが、じょじょに「二度とあの体験は起こるはずがないのだ」と理解しました。なぜなら、ほんの1㎜でも期待や予測があれば絶対に起こりえないことだからです。それほどにマインドが邪魔をするのでしょう。私の場合はビギナーズ・ラックだったんだと思います。”初心”は得難きものなのです。

ただ、好奇心は持続しています。

あの時、私の脳内や身体の中では何が起きていたのだろうか?

脳を超越した意識とは?そして、あの圧倒的な”光”はなんだったのだろう?

それは、人間の意識の可能性(Human Potential )そのものなのでしょう。そして、私があの体験をしたことの意味とはなんだろう?かと。

そして、もうひとつ、漠然とした確信がありました。

二度と起こらないけれど、もしかすると自分が”死ぬとき”にもう一度、あの”光”と出会うことができるかもしれない・・・と。だったら、それまで生きている間はこの3次元の世界を楽しもうではないか・・・という漠然とした予感。

まぁ、あくまでも運がよければ・・・maybe ですが。

(それに、この長澤さんのご本にも書かれているように、どんなに準備したって、ある時、突然の事故や災害で命を落とすかもしれないからです。でも、突然でもやっぱりその瞬間は”永遠”に感じるのかもしれないのですが)

ちょっと、自分の話が長くなりすぎました。

長澤さんのご体験については、本書をぜひお読みください。

(私も、最近、記憶が薄れてきてるので、はやめに書き残そうと思いますが、長澤さんのこのご著書を超えることはできないでしょう)

だから、長澤さんがご自身の臨死体験を綴ってくださったことで、ああ、やっぱりそうだったんだと確信が起こりました。

私の体験と、長澤さんの臨死体験はもちろん異なりますが、長澤さんが書いておられることが、すべて真実の体験であることは実感としてわかりました。そして、大学で宗教学を専攻し、その後、国語を教える学校教師でもいらした長澤さんの文章は、とてもわかりやすく明瞭で、かつ美しい・・・。

ほんとうに、よくぞ書きあげてくださったと思います。私は、読みながら魂がうるおい、魂が喜んでいるのがわかりました。

ひとつには、私がずっと疑問だった”あの体験”の時、脳内で何がおこっているのかの仮説をいくつか紹介してくださったことです。私自身は無精で調べもしなかったですが、長澤さんは様々な論文にあたってくださっています(松果体やマイクロチューブ等)

そして、この本の何よりも重要な点は、その”体験”そのもの以上に、その体験の後、ふたたび、肉体をもって”生”を得た長澤さんが、この三次元の世界に戻ってきたとき、この世界がどのように見えてきたのかが綴られていることです。この本の真骨頂だと言えるのではないでしょうか。長澤さんの本来の人間観・宗教観にもつながっているのでしょう。

13分間の心肺停止と昏睡状態が続いた後の長澤さんは脳に後遺障害が残り、今は電動車椅子での生活を営んでおられます。そこから見えてきたこの社会とは?

社会に役に立つ・立たないで簡単に線引きされてしまう現代社会って何? リハビリを通じての自分自身の身体との対話。アレキサンダー・テクニークの話も登場しました。

障碍者として生きること。車椅子での世界旅行。釜ヶ崎のこと。ダンスバリアフリーとの出会い。さおり織の体験。かつて、学校の先生だった長澤さんの、生徒さん達を見守るやさしいまなざしが伝わってきます。

そして、従来の仏教によるお葬式やお墓にかんする疑問。臨死体験を通じて、”肉体”とは?意識とは?魂とは?の問いに真摯に

0葬について。

ここは、目からうろこでした。

私達は、お墓やお葬式のことで、何故これほどとらわれてしまっていたのか。最後の章での、長澤さんとお母さんのお話・・・私のハートもまた涙で洗い流されていくかのようでした・・・。

あとは、皆さん自身が読んでください。

これは、読むことで魂が喜ぶ本です。

この本と長澤さんと出会わせてくださった片桐ユズル先生にも感謝です。

そうそう、最近知りましたが、長澤さんは”その体験”をされる直前に、ジョアン・ハリファックス博士の講演に行かれているそうです。いやぁ、、、源泉のお計らいってすごいですね。

「十三分間、死んで戻ってきましたー臨死体験と生きることの奇跡ー」長澤靖浩著 ひかる工房

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