宗教の壁を破る

他のところに書いたこと。メモ。

具体的表現への信心と普遍的地平での信心があると思います。
私は、具体的表現を否定しても、弥陀仏は自然のやうを知らせん料なりという普遍的次元で信心があります。
それにダメだしされることは、逆にいうと宗教間対話の否定になると思います。
私はイエスがすべての人の罪を贖って殺されたという物語を信じてませんが、そう信じることでクリスチャンが得た軽(かろ)みと安らぎを認めています。
究極的には同じと思うのです。
親鸞は、弥陀仏を料なりと言うことで、宗教の壁を破った優れた思想家であり、
そう呼ぶことの方が私はより深いリスペクトを告白してます。

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