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noteはいいぞ。

noteを始めて1週間が経った。ハマった。

もともと、Twitterでネット空間と繋がっていた。それに加えてnoteを始めたのには、ある理由がある。

Twitterという空間では、特定の言葉を共有できることが正義のように見えたのだ。

「ガルパンはいいぞ」

こんな一言をご存じだろうか。「ガールズ&パンツァー」というアニメの映画版が公開されたとき、感想としてSNS上を駆け巡った言葉だ。

そのころ大学入りたてだった僕は、アニメ好きの友達の影響でその作品を知った。

軍事的要素とファンタジー的に可愛い女の子(いわゆる萌えキャラ)を含むアニメで僕は取っ付きにくかったが、この「ガルパンはいいぞ」の流行でますます違和感を強く覚えるようになった。

持つ感想は誰しも違うはずなのに、なぜ全員が同じ言葉で感想を述べるのだろう?

キャラクターが魅力的なのか、戦車の描き込みが細かくて敬服なのか、ストーリー性に惹かれるのか……。そういった要素の話を抜きにして、またそこから感じ取った自分の気持ちを表現しようともせず、すべての意見を「ガルパンはいいぞ」が吸収してしまっていた。

そして、断片だけの言葉たちはタイムラインという激流に呑み込まれ、あっという間に消費されていく。

言葉のファストフード、「ファストワード」ともいえる。

そうなりがちなのは頷ける。Twitterという場の制約によって生まれた風潮だろう。140文字を超える言葉を費やすことは許されず、しかも敷居の低さから大量の短い単語が流通しているのが、Twitterという世界だ。

数時間でトレンドの単語が変わる世界においては、短くてインパクトがあり、共有されやすい単語を使えることが正しいことなのだろう。

僕は単純に、その世界に向いていなかった。伝えたいことはそれなりに長い言葉を使わなきゃ伝わらないと思っているし、自分の心の動きは140文字に収まるほど単純じゃない。

伝えたいことが曲解されたり、伝わり切らないモヤモヤを抱えていたそんなある日、フォローしているくつざわさん(@kutsuzawa_desu)が、noteを使って自分の考えをまとめていた。

これだ。一瞬でそう思えた。

自分は、何かを考えて発信したい。でもそれはTwitterの小さな箱に収まるものではなくて、もっと時間も、文量もかけて伝えていきたい。その思いに、noteはがっちりフィットしている。

そう感じた、いや天の思し召しに導かれた(?)僕は、卒論締め切り間近にもかかわらず、アカウントを即刻作成し、ほんの少しばかりnote様のサーバー容量を消費する身となった。

noteを始めてみて、皆さんがていねいに文章をお書きになり、お読みになって下さっている、と感じることができている。noteでは自分の記事の読まれた数とスキの数を記録して確認できる機能があるのはご存じだろう。その結果を見ていると、やはりしっかり時間をかけて内容を精査した文章が認められやすいし、反対にTwitterのような単なるつぶやき程度ではスルーされるな、というちょっとした厳しさもある。

俯瞰したような目でTwitterとnoteを眺めてみたが、まだ僕はこの空間において新米極まりない素人である。そんな人間にスキしてくれる皆様、そうでなくても読んで下さる皆様、本当にありがとうございます。

そんな気持ちを、最後はこの一言に託す。

noteはいいぞ。

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