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架空の劇団第21回公演「八本桜」当日パンフ 演出から

 毒のせいで誰も見る人がいない満開の桜。そんな風景からこの作品は発想されました。
梶井基次郎は、桜の樹の下には屍体が埋まっている、と言い、坂口安吾は、桜の森の満開の下に人間の狂気を描きました。
 満開の桜は、限りなく「死」を連想させるもののようです。この作品は、一人の青年が八本桜の真ん中に迷い込むところから始まります。そこには、身近な人やまわりの人の死をきっかけに、そこからは誰も戻って来ない、といわれる「八本桜」の輪の中に迷い込んだ死霊たちがいて、なぜここに迷い込んだのか、身の上を語ります。
 あるものは人を殺め、あるものは身内の死に絶望し、また、あるものは死者の怨念に震えています。青年は、そんな死霊たちの物語に何を思うのか? そんなお話しです。

 一読して「こりゃ野外だな」と思った。なんでそう思ったかはわからないが、思っちゃったんだからしょうがない。スペクタクルでもアクロバティックでもなんでもないんだが、野外の風景が頭に浮かんだ。それで「ああ、野外か、野外劇ね、しばらく盛岡でもやられてないし、スペクタクルじゃない野外劇やってみたいな」と、思ったのだ。
 それからいろんな人に「どっか野外で芝居やれるいいとこない?」と聞いてみたり、日頃なじみのある場所とか、思い当たる場所とかに行ったりして、舞台と客席の配置などを考えてみたりした。しかし、なかなかしっくりする場所がなかった。どうにもみんな広いのだ。
 そうして数年、いろいろ探し歩いた末に、たどり着いたのが今回の千手院の境内。ほどよい広さの(狭さの)寺の空間。実はこの千手院、劇団員の嫁ぎ先だったこともあって、スムーズに話が進み、実現の運びとなった。千手院には「四季桜」というちょっと珍しい桜があって、年に2回ほど桜を楽しめるという、まさに「八本桜」を上演するに相応しい環境も整っていたのだ。
 そして上演の時期。これは、盛岡の天気が最も安定していると思われる時期を狙った。5月末から6月にかけて、晴天の日が多いのは、野外での仕事の経験から実感していた。同じように10月の上旬も比較的天候が安定しているのだが、暖かい季節から寒い季節に向かう時期で、寒く感じるうえに、台風の可能性もあり、5月を選択した。
 小学校の運動会シーズンのあたりでもあり、そういえば運動会も順延したりするよなぁ、などと、天気については運を天に任せることになるのだが、とにかく、風薫る5月、寺といえば、寺山修司の命日も5月、5月は演劇の月なのだ。おまけにタイミング良く、盛岡市の芸術祭の時期にもかぶっていて、順番的にもちょうど良く回ってきたものだからこの時期になったのだ。


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