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架空の劇団第22回公演「到達!」の上演についてその6

 今回の台本を「さて書き始めよう」としたあたりでの新型コロナウイルス感染症の拡大だったので、なんというか、書き上げたプロットの前提条件みたいなものが、微妙にシフトしていると感じてしまいました。
事態がどのように動くのかわからず、そして3月の頭には、恐らく大していろんなことを考えないままに発令された緊急事態宣言によって、学校が休校になり、卒業を間近に控えた高校生の卒業公演なども含めて、演劇の公演は中止や延期になりました。
 演劇やその他エンターテインメントで生活しているみなさんは、生活の糧そのものを失う危機に瀕し、それは現在も継続中です。地方で演劇を行っているわたしたちは、生活の糧を完全に演劇とそれに関わることに依存している人は少数派だと思います。
 なので、生活が立ちゆかなくなることは、とりあえずない。しかし、公演が中止や延期になったことは、民間の劇場を始め、いろんなところに真綿で首を絞めるような影響を及ぼし始めているような気がします。

 この有事は、行きすぎた都市化を進めた東京で最も猛威を振るっています。それはある意味で、行きすぎを是正するチャンスとなり得る啓示をも含んでいると思うのですが、それが演劇にどんな作用を及ぼすのかについては、まだよくわかりません。

 震災の年の9月に、横浜の演劇祭に呼んでいただいたわたしたち架空の劇団は、その公演の移動日に台風の直撃を受けました。東京駅に新幹線は着いたものの、その先がまるで血管が詰まったみたいな電車の運休で、かなりの時間足止めを食いました。
 大都市は、平時には快適だが、有事の際は本当に脆い、というのを体感した出来事でした。しかし、その有事が一旦過ぎ去れば、また元のように、水が低きに流れるごとく、人は都市に集中し始めることでしょう。そして恐らくこの流れは、そのままにしていて自然と逆流し始めることはないでしょう。
 東京一極集中は、芸術の世界でも例外ではなく、特に演劇は音楽や美術などに比べても、一極集中の度合いが高いと思われます。しかし、演劇の世界は、その一極集中をあまり疑うことなくこれまで過ごしてきたような気がします。
 漠然と、東京に行けば目指す演劇が出来る、続けられる、もしかしたら食えるかも知れない。そんな夢を食って、東京はどんどん大きく、過密になってきたのでしょう。
 わらび座やSCOTなどが、地方に拠点を移し、一定の成功は収めたものの、それが、大きな流れを作るまでには至っていないのが現状だと思います。しかし、今回のような出来事を経験すると、地方に食える演劇人や環境があれば、ここまで危機的な状況にならなかったのではないかという気さえします。
 とはいえ、東京の演劇環境が魅力的なのも事実です。地方の劇団で、東京で公演することに全く興味のないところは案外少ないのではないかと思います。事実、架空の劇団でも、何度となく東京公演はしています。なんというか、東京に対する憧憬と憎悪は、地方に住む人間の宿命と言っても良いかも知れません。

 そして今回のコロナと演劇です。これを無視して書くことはさすがに出来ませんでした。演劇が現実に侵食されながら、それでも演劇の力を信じようとして、上演します。現実はまだ予断を許しませんが、それでもリアルでの上演を目指します。
 ヤマアラシのジレンマのようなことを感じながら、演劇と社会、同調圧力と自立、不安と安心、偏見と多様性などについても考えながら、なんとか劇場での上演にこぎ着けたいのです。いろいろなものに囲まれていろいろなことを考えながら、なんだかんだ言っても演劇を行っていくのでしょう。
 本日はご来場本当にありがとうございました。

2020年7月上演、架空の劇団第22回公演「到達!」の当日パンフレットに書いたもの。この頃はまだ、岩手ではコロナ患者は確認されていませんでした。

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