見出し画像

幾度もの危機を乗り越えて、ここにいる

僕は1977年2月14日に生まれました。あと二カ月もすると47歳。そろそろ、50歳が射程に入ってきました。50歳には『知命』という呼び方がありまして、「五十にして天命を知る」という言葉から来ています。今の自分が天命に沿って生きているかどうかは分かりませんが、50歳になるころにはしっかりと先を見据えて生きていきたいと思う今日この頃です。

それは置いておきまして、僕が産まれたときの話です。産まれた時の体重はわずか1350g。未熟児の基準が体重2500g以下といわれておりまして、その基準をさらに半分近く下回るほどの未熟児でした。もともとは4月が出産予定日だったらしいのですが、二カ月早くに出てきました。よほど、この世に早く出てきたかったのでしょうか。

現在の医療水準ですと、これくらいの体重なら問題なく生存できるようですが、いかんせん50年近く前の話で、しかも生まれたのは設備も整っていない町医者の病院です。お医者さんも「生存確率は低いし、なんとか生きられたとしても、なんらかの障害がでてくるかも」などと、半ば匙を投げるような発言をされていたそうです。

ただ、両親を含め、周りの方が諦めませんでした。たまたま、その医者の親戚にあたる議員さんがその病院を訪れていて、「泣き言をいう暇があったら、出来ることをしよう」ということで、コネをフル活用して、設備の整った大学病院を手配してくださいまして、それから半年ほどはその病院で過ごしましたが、無事にこうして生きています。

「障害が出るかも」と言われましたが、それも問題はなかったです。欲を言えば、あと10㎝でいいから身長が欲しかったなとは思いますが。こうして、出生後、いきなりクライマックスな危機を乗り越えましたが、幼少期には別の危機が待ち構えていました。

幼稚園の頃に鼠経ヘルニア、いわゆる脱腸というやつになりました。特に自分の中では違和感がなかったですが、僕の小便の時間がやたら長い事に気付いた姉が、両親にそれを伝えたことでこの病気が発覚しました。もう少し遅れていたら、命に関わったかもしれない状況だったみたいですが、これも何とか乗り越えました。


その後は無事に小学生時代を乗り越えるかと思われた矢先に、フランクフルト事件が起こりました。確か、小学5,6年の頃だったかと思いますが、地域のイベントかお祭りのようなものが小学校の校庭で催されていまして、そこに色々と出店がありました。一人でそこに出かけて、フランクフルトを食べ歩きしていたのですが、物を食べながら歩くなんて、危険ですね。何かの拍子に、十分に咀嚼していないうちに、大きめのフランクフルトの固まりを吞み込んでしまい、それが喉に詰まりました。

さぁ、困った。呼吸ができなくなるし、言葉も出せない。周りの人にこの危機をどう伝えればいいのかも分からないうえに、自分の命の危機だというのに周りの人に迷惑をかけてはいけないという謎の倫理観が邪魔をして、自分でどうにかしないとという発想になってました。でも、こんなのどうしようもないですよね。これは死ぬかもと思いましたが、なんとか喉に詰まっていたフランクフルトを吐き出せました。吐き出したフランクフルトを見て、「あぁー、こんなのが詰まったら、そりゃ呼吸できんわな」と、割と冷静に考えてました。
数日の間は喉がヒリヒリしてましたが、その程度で済んで良かったです。


そして、時は流れて大学生になりました。18歳の頃に新聞配達をしていたある日の早朝に、車にはねられました。車の滅多に通ることのない通りだったので、油断して安全確認せずに飛び出したら見事にやってきた車に跳ね飛ばされました。結構な距離を吹っ飛ばされて、頭から落下したのを覚えています。その時はヘルメットをかぶっていたので、足首の骨折だけで済みましたが、ヘルメットをかぶっていなかったら危なかったです。普段はヘルメットをかぶらずに、首から下げるような状態にしていることが多かったのですが、その時はたまたま事故の10分ほど前に巡回中のパトカーを見かけたので、ヘルメットをかぶっていました。


と、思いつくままに自分の人生の危機的だった状況をあげてきましたが、こうやってみるとドラマティックとまではいかないまでも、なかなかのピンチを乗り越えてきているなと思います。どれだけ辛い思いをしても、人というのはやはり生きていきたいという願望を持っているのかもしれませんね。僕も何度かの命の危険を潜り抜けてきました。生かされていることに感謝して、自分が世の中に貢献できる道をこれからも探っていこうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?