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親色に染まっていた自分をいつか自分色に

ずっと親に不満がありました。

何を言われても、腹が立ちました。

それでも「はい」と従っていました。

イヤって言えばいいじゃない、そう思います。

でも、私の中にはその選択肢しかありませんでした。

鎖につながれたゾウでした

何をそんなに怒られることをしていたんだろうと思います。おとなしい子でしたから。早くあれをしなさい、これをしなさい、それに従わないと怒られていたんだと思います。すぐに動かなかったり、いやいや返事をするとお尻を叩かれ怒られていました。

コツコツと変わらない、母の長年の努力で
すっかり私は「はい」と従うことしかしない人間に育ちました。
よく聞く、鎖に繋がれたゾウです。


私も必死に生きていた

親の言葉は従わなければいけない命令でした。私の気持ちを聞くという考えは、母にも父にもありませんでした。お願いでもありませんでした。

ふたりからのメッセージは「こうしなければ生きていけないのだ!」そのくらい切羽詰まったようなものでした。

全然そんなことなかったのにね。

もっと力を抜いていても生きられたのにね。


自分が子育てをするようになり、自分がイヤだったことだけはしないようにしよう。親を反面教師としよう、そう思っていました。

親と同じにはしないと必死でした。

私は話を聞いてもられなかったので、子供の意見を聞くようにしました。
病気の時は薬だけ渡されて心細かったので、必死に看病しました。
なんでもちゃんと理由を説明しました。

子供を一人の人間として尊重しよう、子供の気持ちを大事にしよう、ただ従わせるのではなくちゃんと独り立ちできるように。

必死でした。

必死で必死で、この世は必死にならないと生きていけないと言うメッセージを与えてしまいました。結局、私も親と同じ影響を与えてしまいました。


親の影響を受けたままだった

表面上は親と同じことはしていないつもりでしたが、生き方そのものは親の影響を強く受けたものでした。そしてそのことに気づかなかった。

その生き方は、子供の頃に信じてしまったこと、思い込んだものが土台になっていました。

イヤと言ってはいけない
必死にならないと生きていけない
私が悪い、私はダメなやつ
周りは敵ばかり
目立ってはいけない
自分だけ楽しんではいけない
やることをやらないと楽しんではいけない
ちゃんとやらなければいけない
親に従わなければいけない
人の気持ちを優先しなければいけない
いい人と思われていなければいけない
役に立つ人でいなければいけない
そのままではいけない
言いたいことを言ってはいけない
我慢しなければいけない
わがままを言ってはいけない
したいことよりすべきことを優先する

まだまだありそうです。

自分の気持ちは我慢して、周りの顔色ばかり伺い、何かをしなければと必死に生きる人でした。

親から影響を受けた生き方のまま子育てをしてしまったので、直接そう言っていないとしても、私の姿から同じような影響を与えてしまったでしょう。


親の影響を受けていることに気づかない

毒親、インパクトがあってわかりやすい言葉です。私も使いました。

毒親というと虐待などのひどい親のイメージになり「私の親はそこまでひどくない」「毒親というほどではない」「この程度で毒親なんて言ってはいけない」そんな風に思ったりもします。

だけど誰でも、良くも悪くも、親の影響は受けているでしょう。

でも影響を受けていることに気付けないことは多いかもしれません。
特に、親に不満を持っていて、同じにはならないと思っていたりすると尚更です。

私もそうでしたし、知り合いにもいます。
はたから見れば同じようなことをしているのに、自分では気づいていないんだなって。

親色の自分ではなく自分色に

親の影響を受けた、自分の生き方。それが人生をのびのびと楽しむことを邪魔していたら、同じような影響を子供に与えてしまったら。

私は変えたいと思いました。

だけど結構大変です。どんな影響を受けているのか知るのも一苦労です。
そして気付いたとしても、長年の癖で無意識に同じようにしてしまいます。
癖を変えるのは難しい。常に気づいて、ウッと力を入れて変えなきゃなりません。気づいても「変えても本当に大丈夫?」と怖くなります。

手探りで頑張っている途中です。


自分でも気づかなかった、親色に染まっていた自分。親の色を抜いて、自分の色に染め直したい、そう思いました。

だけど私は、長年周りの顔色を見て周りに合わせて生きてきて、自分がどんな色なのか、サッパリわからなくなっていました。

何かつかめたらと思い、ここnoteで書き始めました。


自分の色と書きましたが「自分なんてないのかも」と記事に書いたことがあります。

自分の色は何色、ではなくて
さっきはこんな色だったけど、今はこんな色
そんな風にその時々で変わるものかもしれません。

その色も、濁っていたり何かで覆ってしまっていたら、わからなくなります。

変わる感情を綺麗に映し出せる自分でいたいと思います。




最後はなんのこっちゃになってしまいました。

親の生き方は、自分を隠し表面を取り繕う生き方でした。
なんだか周りを塗り固められて、元がどんなかわからない感じ。

それじゃあ、自分の色、その時の色は映し出せないと思います。

元々の気質もあるから、うっすらと何かの色はついているかもしれない。だけどそこからもれる、その時の感情の色で、色とりどりに変わっていく。

今はそんなイメージです。

ちょっとむずかしいなあ



トップ画像は、江ノ島シーキャンドルでのキャンドルナイトの様子です。



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