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自分には価値があるそう思えた時、鎖が外れていった

自分には価値がある

どうしても、そう思えませんでした。

だけどそう思えた時、

全てはこれだったと思えるくらいの大きな事でした。

もう必死にならなくていいと、ほっと力が抜けました



周りの人から認めてもらわないと

存在してはいけないと思っていました。

そうはっきりわかっていたわけではありません、無意識にです。

あなたはそのままではダメなのよ。一生懸命いい人間になって周りから認めてもらわないと、存在しちゃいけないのよ。親から受けるそんなメッセージを信じていました。

もちろんそうはっきり言われたわけじゃありません。ただ、そう感じていたんだと思います。


だからか、常に周りの目を気にしていました。

嫌われない様に非難されない様に必要とされるように

いてもいいと思ってもらえるように。



同じ様にこの世に生まれ、育っていく中で

私は価値があると思う人と

私には価値がないと思ってしまう人がいます。

子供の頃に、どちらを信じてしまったか



自分はこのままで価値がある、ある日それがやっと腑に落ちました。

そう思えて初めて、自分のしたい様に進める気がしました。

なんの制限も、引っかかりもなく

好きな事をしてもいいんだと思えました。


元々、こんな気持ちで生きてきた人もいるのか、と愕然としました。

全く同じスタートラインに立っていません。

100メートル走なのに、障害物レースをしてから100メートルを走るくらい違いました。

重いおもりを背負っている様でした。そりゃ軽やかには走れないのも当然です。




だいぶ時間がかかってしまったけど、まだ人生は終わっていません

やっと、好きなように走れる場所に立った気持ちです。

と言っても、どう走ったらいいのか……


少なくとも、手足を縛る鎖は外れた様に思います。


外れたかな?

まだ慣れないから、少しずつゆっくり歩きます。



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