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細かく伝えようとしすぎ、深読みしようとしすぎ

言葉が、思った通りに伝わるって中々ありません。

「うーん違うんだけどなあ、なんて言ったらいいのかなあ」といつも考えてしまいます。

だけどその通りにピチッと伝わるなんて無理な話で、ピチッと伝わったと思っていても、よーくよーく見てみれば、ずれている所は沢山あるはずです。

だったらぼんやりとしか伝わらなくても大差ないのかもしれません。


細かく伝えようとしすぎていた


ピチッと伝えたくって、細かく細かく話しすぎてなんの話だか分からなくなったり、思った通りに伝わらなくてイライラしたりしていました。

まる?

例えばこれを見て、「まる」って言えばざっくり伝わるのに

「右はちょっと凹んで、線がところどころガタガタして、一箇所クロスで交わって」

なんて言ったらわけわかんなくなる、私はこれをしていたのかも。


最初はざっくり伝えて、もっと細かく知りたい人にだけ細かく話せばいいのかも。

ざっくり伝わるのが嫌で、細かく細かく話そうとするのは、相手にとっては不親切だったんじゃないかな。


あ、これも子供の頃の影響もあるのかな。


話をちゃんと聞いてもらえたらある程度は満足


私の母親は人の話を聞いていませんでした。聞いたとしても、せっかちに話半分で「こうなんだ」と決めつけてしまいます。それがすごく嫌だったのかも。

だけど伝わらない人には何をしても伝わらないし、伝え方の問題じゃないかもしれない。

例えば夫は、国語力がないというか理解力がないというか、話を理解するのが苦手です。でも私は話を聞いてもらっていると感じるし、気持ちを理解してもらっていると感じます。

あれ?伝え方の問題でも、理解力の問題でもないんだったらなにが違うのだろう。

夫は私に興味があって、面白いと感じてくれています。私を見て、私の話をそのまま聞いてくれます。

話を理解してもらえなくて「もーー」と思うことはあるけど、しょうがないなと思えるのはちゃんと聞いてくれているから。ちゃんと聞いてわからないなら諦めもつきます。母親は話を聞いていないから、不満が残ったのかもしれない。


そして夫とは価値観が似ているところがあります。それが理解してくれたと感じる大きな要因かも。母親とは価値観が全く違うから、理解してもらうのも無理でしょう。

説明の仕方ではなく、わかる人はわかるし、わからない人はどこまで行ってもわからない。

ちゃんと向き合って話を聞いてもらえれば、理解されなくても諦めがつくし

価値観が違ったら、わからないのも仕方がない。


人の話を聞く時


人の話を聞く時にも、ちゃんと受け取らなければと、力を入れすぎていたかもしれません。

全員が同じではないかもしれないけど、人も、まっすぐ向き合い、ただそのまま話を聞くだけでかなり満足するのかもしれない。


本音のない家で育ったので、本音も一生懸命探ろうとしていたけど、言葉で言ったことだけを、そうなんだと受け取るだけでいいのかもしれない。

最近、相手が隠そうとしているものに気づいてしまった時は知らないふりをした方がいいのだろうかと考えたことがあったのですが、相手が言葉にしてないのなら、勘ぐったり触れる必要はないのかもしれません。

単純に言葉だけを、ああそうなんだと受け取ればいいのかも。


ということは、

自分もわかって欲しいことはきちんと言葉にしないといけないですね。



あれ?最初に戻っちゃった?

伝えたい重要なことを、最初に簡潔に伝えるようにすればいいのかな

結論から


みたいな


まとめ

  • 話す時は、伝えたい事、結論から、ざっくり話す
    (細かい事は興味がある人だけに)

  • 話をちゃんと聞いてもらえば、ある程度満足

  • 価値観が違ったら、理解してもらえなくても仕方がない。

  • 話を聞く時は、言葉からだけ受け取ればいい

  • わかって欲しい事ははっきり伝える



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