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【掌編小説】最果ての虹

 日本最南端の島、波照間(はてるま)島に行ってみたいなという気持ちを込めて短編小説にしました。

 

 こうして海に抱かれていると色んなことがどうでもよくなってくる。サトコは思った。「生きててよかった」と。

 サトコは今日本最南端の島、波照間島にいる。なにをどうしてここにたどり着いたのかはこの際脇に置いておくことにしよう。今重要なことは一面の青空のもとサトコという一人の人間が波に揺られていることなのだから。

 サトコは己の身に降りかかってきた数々の出来事を頭のなかから振り落とすべく、目の前の景色に没頭することにした。どこまでも続く青い空と白いビーチ。海水は信じられないぐらいに澄んでいて、珊瑚礁が鮮やかなグラデーションを織り成す。

 波照間島の存在を初めて知ったのは中学の地理の時間のことだった。担当教師が雑談のなかで昔旅行したことのある島として、この波照間のことを話してくれたのだ。「最果ての島」。何より空想の好きなサトコにとってその教師の話はとても印象深く、自分もいつしかその島に行ってみようと心のなかで美しい海を思ったのだった。

 あの中学生の日々は遥か遠く、時間も距離も遠く隔たった今、サトコは自分でも驚くほどあの頃から変わらない自分の一部を思うのだった。大人になるということは、進歩させなくても良い領域を自分で見極めることと話していた大学時代の教授の言葉を思い出した。あの頃はその言葉の意味がよくわからなかったのだけど、今サトコは身をもってそのことを証明しようとしている。ただ認めるのが難しいからもがくのが若さであって、そのような若さをサトコが持ち合わせていないだけのことなのだったが。

 こうして大自然のなかに一人放り出されると、今まで身に付けてきた人間としての数々の技巧みたいなものががらがらと音をたてて崩れ去っていくような気さえする。怖いぐらいに一人だった。圧倒的な孤独。でも確実に地球につながっているという不思議な安心感。

 ただそこにはサトコという一人の女がいるだけだった。大人になるということは、進歩させなくても良い領域を見極めること。それは半分あたりで、それだけでは何かが足りないとサトコは思った。今のサトコが手にしたいものは諦感ではなく、圧倒的な高揚感だった。

 私はまだまだこれからよ、サトコはそう呟いたのだった。

 

 

 


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