キャラクターは実在しないし、人権もないし、自由意志もない

フィクトセクシャルを自称する私ですが、キャラクターの実在性についてどう考えているか話したいと思います。

フィクトセクシャルと言っても、キャラクターの夢女子(ドリーマー)でもガチ恋勢でもないので、単なる一般的なキャラオタクです。

他の記事から引用しますと、次のような認識を持っています。

キャラに欲望を向けるキャラオタクの大半は現実性愛者であり、その人たちはいわば、現実性愛者かつフィクトセクシャルであると考える。私の場合、現実性愛者ではないので、フィクトセクシャルという部分だけが結果的に残る、という認識。
つまり、フィクトセクシャルとして自らをラベリングする一方で、アイデンティティとしてそれを持つわけではない。そのため、二次元コンプレックスと自称しても特に違和感はない。

まず結論を書きますと、キャラクターの実在性について以下の3点の考え方を持っています。

1.キャラクターはおのおのの世界の中で生きているが、我々の世界には生きていない。故に実際の人権は存在しないし、実際の自由意志も存在しない。

2.キャラクターを酷い目に遭わせることが、愛がないこととは限らないし、むしろ愛の現れということもある。

3.明確に害悪だと定義できるのは、キャラクターを利用して害意を持って他者を傷つけることだけである。

Twitterなどを見ていますと、次のような人物を目にします。

たとえば、宇崎ちゃんの献血ポスターは性差別だから献血に行かないよう呼びかける、二次元表象に対する差別心を表現する人物。

たとえば、「私もオタクだけど」という枕詞で女性キャラの露出に対して、厳密なゾーニングを求める人権感覚のある人物。

たとえば、キャラクターと結婚した人物に「キャラの意思は確認したの?」と問う人物。

たとえば、版権作品のキャラに対して同担拒否的で、他ファンと交流を避ける以上の極端な行動をとる人物。

たとえば、一次創作のキャラクターに対して思い入れが深く、キャラクターには命がある、あるいは(実際の)人権があると表現する人物。


こういった人物の話や意見を聞くたびに「それはそれ、これはこれ。概念を拡張しすぎでしょう」と思っていました。

キャラクターを愛好する人物や、それに批判を向ける人物の双方に言えることですが、差別や人権に関する領域において、感性をもとに概念拡張を行ってはなりません。

比喩的な意味で、「キャラクターには心がある」とは言えますが、「キャラクターには人権がある」「キャラクターには自由意志がある」とは言ってはいけません。水着モデルや水着のキャラに対して、それ自体が「セクハラや性被害に相当する」とは言ってはいけません。

実在の人物の権利を守るために、言葉の重みを薄れさせてはならないからです。戦争捕虜や性被害者などと同じ枠組みで語ってはならないことだからです。

先ほどの話で言いますと、フィクトセクシャル否定派から発される「キャラに結婚の意思を確認したの?」という疑問は、〝キャラには自由意志があると、フィクトセクシャル当事者は考えている〟という誤解からです。

宇崎ちゃんのポスターを性差別と考える人物は、女性キャラの描かれ方が女性の権利と直結すると考えています。ですが、女性キャラは現実の女性ではありません。

たとえば、しずかちゃんとドラえもんは同じ世界、同じ次元の存在です。ドラえもんの描き方が、そのまま男性や女性やロボットへの差別にならないのと全く同じで、しずかちゃんの描き方は、そのまま女性への差別にはなりません。

女性差別的な意識を反映した表現は問題になるかもしれませんが、しずかちゃんの描き方それ自体が、実在の女性を差別するということはありません。なぜなら、しずかちゃんは実在の人物ではないからです。

この前提をご理解頂いた上で皆さんに意見を発信して頂くことが、フィクトセクシャル当事者、肯定側、批判側、特に考えたことのない人たち、それぞれがお互いに歩み寄っていくための前提になると考えています。


それでは、先ほど話した3点について順を追って話していこうと思います。

1.キャラクターはおのおのの世界の中で生きているが、我々の世界には生きていない。故に人権も存在しないし、自由意志も存在しない。

キャラクターがまるで生きているようだと思うことや、キャラクターが作中世界で悩んで苦しんだことを軽視しているのではありません。キャラクターがその世界に生きていて、たとえフィクションであっても勇気を与えてくれていることは私たちにとっての現実です。それは胸を張っていいことです。

しかしながら、キャラクターに実際の人権や実際の自由意志が存在すると言及することは、さまざまな意味でキャラクターを愛好する人たちが、現実性愛主義的な人たちからの差別を生む要因となります。

2.キャラクターを酷い目に遭わせることが、愛がないこととは限らないし、むしろ愛の現れということもある。

生真面目なファンやオタクが陥りがちな悩みかと思いますが、キャラクターのレイプ表現や暴行表現といったものを好むことが、キャラクターに対して不誠実であると考えたことのある人もいるかもしれません。

ですが、それははっきりと否定したいと思います。場合によっては、キャラクターの明るい未来の二次創作や生存IFを描くことそれ自体が、作中の人物の生き様の否定となることもあるでしょう。その人たちに、「そのキャラは明るい未来を望んでない!そのキャラは死んだのだから生存IFなんて描くべきではない!」などと言う人がいたとしたらおかしいと思いませんか。

キャラを傷つける表現に関しても全く同じことが言えて、表現の内実がキャラ自身、あるいは原作者や運営それ自体に対して名誉の毀損や迷惑になりうるという考えはしないでおきましょう。(ウマ娘などは R18創作を禁止していますが、そういった例を除いて)

キャラクターの性的表現や暴力表現そのものは、特殊性癖ではあるのかもしれませんが、人権侵害ではありません。公開する場を限定するなどすれば十分です。

自分自身というより、それを好む人たちのために自らの趣味嗜好を否定しない、という心持ちでいてほしいな、と思います。

3.明確に害悪だと定義できるのは、キャラクターを利用して害意を持って他者を傷つけることだけである。

キャラクター表現を嫌がらせに用いることだけは、明確に悪いことだと言えます。

例えば、その人があるキャラの特定の表現が嫌いだと分かっていて画像を送りつけるとか、思想的に反する論敵を悪意のある描画で表現するなどです。

同じジャンルのファンへの嫌がらせとしてそのファンの推しキャラのレイプ表現を示唆するような創作物を送りつけるいじめを行っていた人物もいましたが、作中でまさしくそうした人間を明確に否定していたのにもかかわらず、この作品の何を見たんだろう?と憤ったことがあります。

不愉快だと感じる創作があっても、それ自体が害意を持って制作されたのでなければ、あまり気にしないほうがいいとは思います。

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フィクトセクシャル当事者やその肯定者に対して批判的な現実性愛主義的な人たちは、キャラを人間と見立ててたロジックを用いていることが多いです。

女性のキャラクターは、実在の女性ではありませんし、小学生のキャラクターは、実在の小学生ではありません。
キャラクターの思想は必ずしも作者の思想を反映するものではありません。
男女カプやボーイズラブや百合の作品は、必ずしもリアリティを追求して描かれるものではありません。

このことを徹底的に頭に入れ込んでおくと、そうした人の意見に惑わされることも少なくなると思います。明確に敵対構図を作るべきだとは思いませんが、一つの反論の方法として覚えておくといいかもしれません。

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