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喜んでもらったら、エネルギーが湧いてくる。

10月末に、地域の団地で企画・開催されたファッションショーに参加した。

自分も調子に乗ってランウェイを歩いた上に、撮影した動画の編集を引き受け、途中、やる気をなくしたものの、ある作業過程でやりがいを感じた、という話を3週間ほど前に書いた。

そして昨日、
ファッションショー参加者の同窓会ランチ&動画鑑賞会と称した集まりがあった。
やっと代表の方(以下、監督)以外のみなさんに観てもらえる…!と喜び勇んで参加してきた。

「恥ずかしくて観られないから」という男性が1名欠席で、その方以外の参加者、スタッフ十数名で、集会場の大型テレビに映した動画を約30分間眺めた。

みなさん自分が映ると、ニヤニヤしたり、手で顔を隠したり、他の方に助けを求めて話しかけたり、リアクションもさまざまだ。

そんなとき、ロ型に組んだ会議用テーブルの向かいに座っている監督の顔をふと見ると目が合い、互いに笑みを交わし合う、そんな瞬間が何度かあった。

最後、エンドロールが流れると、
「えっなぁに」「わぁ」という声が上がった。

エンドロールは、作りたくなって追加で作ってみたもので、
出演者の名シーン(と勝手に判断)を切り出した画像をモノクロにし、BGMのテンポに合わせて
出し、その後、出演者から監督まで役割と名前(クレジットと言うんですね)を映画のエンディング風に流してみた。

これが、思った以上の反響だった。

終わるなり、みなさんから、大変だったでしょう、ありがとうと声をかけてもらい、

ある方は涙ぐみながら、このように思い出を形にしてくれてありがとう、とおっしゃり、

ある方は、かつて芸能プロダクションに所属していたけど、ついぞエンドロールに名前が出ることはなかったから、とても嬉しいという感想をくださった。

うわーエンドロール作って良かった…

このとき私は、「無償でなんてやってらんねー」と思いながらテロップを入れていたことを思い出しながら、

無償なんかじゃないんだな。
こんなに喜んだり感激してもらえることが何よりの報酬じゃないか。
なんだか綺麗事みたいなんだけど、
そう思った。

夕方帰宅した私は、ずっと機嫌が良かった。
その証拠に、子どもたちにいっぺんに話しかけられ続けても、イライラしなかったのだ。笑
その状態が寝るまで続いた。
我ながら単純すぎる…

喜んでもらえて、その表情や言葉がまばゆく私の中で輝き続け、知らず知らずに頬が緩む。
なんて幸せなことだろう。

「思いをカタチにする動画編集」かぁ。

仕事だろうが、ボランティアだろうが、根っこにある思いは一緒だなと思った。

それと、何であっても「自分の名前が出る」「何かに名前が残る」ということはきっとどなたにとっても嬉しいことよな、ということも感じた。

誰もが持ってる物語を、可視化して、残すような、そんなことを私はやっていけたら…

そんな自分の淡い夢にも気づく体験となった。

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