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19年前、福知山線脱線事故の報道でとっさに思ったのは。

19年前の2005年4月25日。
テレビであの報道を見たときの衝撃は、ずっと忘れられない。

私は当時22歳で、大学を卒業し、札幌に支店のある中国の航空会社で働き始めたところだった。

仕事をスムーズにこなせず、そんなに難しくはないはずの航空券の予約・発券の業務で、先輩から「何分かかってんの?遅い!」と怒られ、自分の不甲斐なさに押しつぶされそうな日々を送っていた。

帰宅後、テレビで目を疑うような惨劇を目の当たりにしたあの日、
「大変な事故が起きてしまった」と、しばらく動けなかった。

そしてすぐに浮かんだのは、
「私がこの電車を運転していても、同じ事故を起こしてしまっていただろう」という想像。
怖くてたまらなかった。

この運転士さんは、遅延は許されないというプレッシャーの中、遅れを取り戻すために制限速度を超えてしまったと続報で知ったが、それを聞いて、ますます自分と重ねた。

人の命を預かる仕事…

怒られるほど、パニックになってさらに挙動不審になる私には、人の命に直接関わるような業務は絶対無理だと、このニュースに触れるたびに考えさせられた。

ただ、誰であっても、「人」が行う以上、絶対に安心、安全ということはないのだということも思い知らされた、大きな事故だった。

事故の何年後かに、ご遺族の方が、「自分の大切な人が、電車内のどこに座り、立っていたのか」を検証する活動をしているという特集番組を見た記憶があるのだが、どこまで検証ができたのだろう。

それが判明したって、心の傷が癒えることなどないだろう。もっとつらくなることだってあっただろうと思う。
でもせめて、大切な人が最期の瞬間どこにいて、どんな想いでいたのか知りたい気持ちや、少しでも怖い思いをしないでいてくれたら、と祈るような気持ちだけは想像できて、その番組も忘れられずにいる。

事故から20年を迎える来年こそは、現場に献花をしに行こう。
二度とこのような悲劇が起きませんように。
私にとって4月25日は、家族が無事に帰宅することに一年で最も感謝できる日でもある。

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