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よこしまな気持ちでFF16を遊んだら私の中のあの日の少女がよみがえった

PS5デジタルエディション同梱版(56,980円)を買ってまで、ファイナルファンタジー16を遊んだのは、主人公のキャラクターデザインがとても良かったからだった。
その上、王子の身分でありながら奴隷に身を落としているらしい。

ふ~ん、えっちじゃん。
時は6月末わたしが生活しているゲーム開発界隈では、FF16を発売日に買ってクリアしたゲーム開発者がFF16の遊び部分に対して激論を飛ばしている最中だった。
わたしはそんなことは全く関係なく、主人公がえっちだから、という理由で6万円を払いFF16を遊び始めた。
人が、一番財布の紐が緩くなる瞬間はエッチなものを見た時だという。だから世のインターネットの広告はあんなに煽情的に発達したのだ。わたしも、その例に盛れずまんまとPS5ごと購入したわけだった。


そもそも、ファイナルファンタジーナンバリングを買う気は毛頭なかった。
と、いうのも過去にFF15をPS4ごと買って、途中で挫折し、PS4ごと起動しなくなり、結局知人に丸ごと譲る、ということをしていたからだった。

わたしはもう、長編のゲームを遊び切る体力はないんだと愕然とした。少女だった時、あんなに夢中でビデオゲームにのめり込んでいたのに。さまざまな冒険者と一緒に世界を救い、人間関係のロマンスに胸をときめかせたのに……RPGは少女だったじぶんにとって、少年漫画と少女漫画のいいところを両方兼ね備えていた。
けれど……もう、遊び切れないんだ。アラサーとなった今、オープンワールドは広大すぎるし、アクション性が増していくゲーム性は難しすぎた。極める前にストレス閾値を超えてしまい、放り投げてしまう。
もう、忙しいのだ。ゲームを極めるまで遊ぶより、ゲーム開発を極めたいのだ。コマンドのタイミングを学ぶより、プログラミングを学びたいのだ。

少女のころはビデオゲームで得た実績と、日々の生活のなかで得た実績は等しいものだった。テストで良い点数を取ること、逆上がりが出来ること、それらと同じ場所にビデオゲームでハイスコアを取ることや、華麗なコンボを決めることが格納されていた。
でも、大人になった今は違うのだ。ビデオゲーム内での実績はすっかり虚構となって、それよりも日々の生活や仕事に関係するものが大切になってしまった。
こんなわたしはsteamで短編を買って遊ぶのが関の山で、もう長編を遊ぶのはポケモンぐらいなものだと思っていた。ポケモンだってストーリー攻略しかやらないので、プレイ時間はそんなに長くもない……
ティアキンを買って遊んではいたが、やっぱり広大でなんでもできるオープンワールドはわたしには重荷過ぎて、息切れしていた。


そこに颯爽と現れた、えっちすぎる主人公のFF16。
こんなに登場人物に胸が高まるのは久しぶりのことだった。もしかしたら、ゲームとしての面白さがどーのこーの、を乗り越えた、よこしまなトキメキを胸にゲームパッドをにぎったら最後まで遊べるかもしれない。
もはや、グラビアアイドルの写真集を買うのと同じようなモチベーションでPS5のスイッチを入れたのである。



大人の嗜好品として遊ぶつもりだった。
なのに……なのにッ……!!序盤、カインのポーズで竜騎士が現れて『ジャンプ』をした瞬間にわたしの心はすっかりあの頃の少女になってしまったのである!!

今回のファイナルファンタジーは、自動車とか銃とか出てこない、ナンバリングタイトルとしては久しぶりの正統派のファンタジーだった。今どき珍しい、剣と魔法の戦記ものだった。


わたしは遊びながら、ファンタジーに夢中だった少女の頃を思い出していた。ロードス島戦記TRPGモンスターコレクション魔術士オーフェンスレイヤーズ刻の大地ドラクエテイルズサガフロ、そしてファイナルファンタジー……
90年代に少女時代を過ごしたわたしにとって、ファンタジーとは幼い頃に冒険した世界そのものだった。それらは、ドット絵やアニメ調の絵で再現されていた。思春期を迎え、それらから遠ざかって早幾年……
PS5のエンジンを駆使して、かつてはドットやアニメで再現されていたファンタジーの世界がまるで実写のような解像度で目の前に現れたのだ!


それは、実写版・映画ファイナルファンタジーを見たかのような衝撃だった。
別に、綺麗なグラフィックで表現されたFFは珍しくはない。FF15だって十分綺麗だったし、FF7リメイクも素晴らしい美しさだ。でも、それらはわたしが少女の頃に冒険した剣と魔法のファンタジーとはちょっとちがう世界だった。
FF16は、少女の頃にわたしが遊び、冒険したファンタジーの世界が現実に広がったように思えたのだ
聴き馴染んだ呪文やアイテム名、チョコボモーグリシドといったシリーズおなじみの名前。そういったものが、ここぞという憎いタイミングでひょっこりと現れる。そうそう、こういうものが見たかった!と何回も唸ってしまった。
召喚獣大怪獣バトルはあまりにもド派手すぎて、爆笑しながらゲームパッドを握った。
かと思えば国家間の戦争、魔法を巡る争い……戦争によって悲惨にも倒れる兵士や一般市民たち。ドット絵で見ていた争いの様子は、解像度を増せばこんなに残酷だったのか、と息をのんだ。


とってもエッチですね、みたいなノリで見ていた主人公はシリーズ最長年で現在のわたしと同じ年頃。過酷な世界で年齢を重ねたからこその覚悟の決まりっぷりが、若年層も終えた自分と重なってしんみりとしてしまった。
フォロワーはFF16を大人のためのファイナルファンタジーと呼んだが、まさにその通りだと思った。
CERO D、残虐表現に性的表現ありのファイナルファンタジーは、大人になってはっきりと見えてしまった、国家間が争うということがどういうことなのか、生きる上で肉体関係がどう転んでいくのかを今のわたしと同じ目線で映しているように思えた。
少年少女のキラキラとした冒険は、わたしにはもう辛い……最近、めっきりゲームを長く出来なくなってしまったのは、もしかしたら主人公と同調することが出来なかったからかもしれない。
久しぶりにロールプレイングをした。6月末からの一カ月間、わたしはクライヴになっていた!


アクション性の高いRPGであったが、ストーリーフォーカスモードを選べば戦闘サポート用アクセサリーを最初からもらうことが出来る。すべて付ければ、決定ボタンを押し続けるだけで通常攻撃から必殺技、回避まで全て自動で行うことも可能だ。アクセサリーなので、成熟度に応じて付け替えれば難易度を調節して遊ぶことが出来る。
もう、ゲームの熟練度を競うこともなくなってしまったわたしには、これは本当にありがたい処置だった。
シームレスに移動するムービーとゲームプレイは、まさに遊ぶ映画といった具合でロールプレイして冒険するためにビデオゲームを遊びたいわたしにはとてもぴったりだった。
遊べる映画、という感触は賛否両論かもしれない。
でも……わたしは、遊べる映画だったからこそ、最後までクライヴの冒険を全うし、心を少女に還すことが出来たんだな、と思っている。


あの頃のファンタジーを、超美麗解像度で、選べる難易度で冒険できる。
これだけで本当に楽しかった。
ゲーム開発をするようになってゲームとは何か?遊びとは何か?ずっと小難しく考えていたけれど、なんだか大切なものをFF16を遊ぶことで取り戻せたような気がする。

ありがとう、吉田……
今のわたしのためのファンタジーを作ってくれて。


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