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これからの教育は?~教育をテーマに探究する生徒たちとともに考える~

久しぶりの投稿。今目の前には山ほど仕事があるのですけどね。

どこかに吐き出したい欲がもくもくと・・・


今年度から転勤し、新たな高校で1年目、四苦八苦しているところです。

生徒たちに・・・?



というより職場環境に、でしょうか。

新たな場所でのスタートはやはり大変なものです。

要領を得ないことだらけ。


さて、本題は

これからの教育について思うこと


多くの学びがある高校の総合的な探究の時間の授業。

授業というより、活動というか。

我々が教えることは少なく、生徒主体で調べていく。いや、教員の負担はまだまだ大きく、改善の余地は大いにあるのだが・・・

前任校でもいろいろと練られていたが、今年度赴任した学校では2学年において、生徒主体で学校外とのやり取りをしながら生徒たちはそれぞれのテーマで探究を進めていく。このような活動のサポートは初めてである。


私が担当している探究班の中で、教育形態等について興味を持っている班がある。教育学の専門家が研究するようなことのごく初歩的な部分を調査している感じだろうか。比較教育学とかいうのか?専門外なのでよく知らない領域ではある。(教師がみんな教育学に詳しいわけじゃないからね!)


大学の先生に話を伺う機会があり、大変勉強になったのはもちろん、これからの教育の在り方、というか、自分自身の教員生活を送るうえで、こうありたいと改めて考えるとても良い機会になった。

キーワードはいろいろあったが・・・


とりあえず自分の中で大きなテーマになったのは

インストラクターではなくファシリテーターになろう


これは現状のカリキュラムでは非常に難しいのだが・・・いや、教材研究を念入りに行い、学習テーマや学習方法などの設定を綿密に行えば可能なのだろうが、変える勇気と多くの準備時間が必要である。

「ファシリテーターになってください」

これは教員として採用されてから今まで、研修などで度々聞いてきた言葉であったが、こんなにも腑に落ちたのは初めてだった。

アクティブラーニングをどう導入するか、生徒を主体的に動かすにはどうするか・・・

その答えを探すことが重要なのではなく、そもそもなぜアクティブラーニングだとかファシリテーターになれとか言われているのかよく理解できていなかったことが問題なのではないかと気づく。

いま、自分が行っている授業はやはりファシリテーターとしての授業ではないのである。じゃあ何なのか?

いまの自分の役割はインストラクターである。大学の教授の話を聞いてハッとした。

生徒に、共通の課題・内容をよりわかりやすく理解してもらうためにいかにわかりやすく説明するか。いかに全員が同じ内容をアクティブに学ぼうとするか。いかに効率よく理解できる生徒を増やすか。

受験に対応するには大事なことではあるが、それでは教員の仕事は将来AIにとってかわられても仕方ないのではないか。

もちろん高度なインストラクションは人間の方がまだまだ得意だろう。しかしあくまでも決まった内容を効率よくわかりやすく教えるのであればロボットでも可能になりそうな気がしないでもない。


教育におけるファシリテーターとは様々な教材や学習テーマなどと生徒をつなぐ役割をする人である。


教授の話を聞く限りではそう自分は捉えました。


わが校の総合的探求の時間の学習においては、教師はこの役割が少しはできているのである。

自分自身、大学教授という人と生徒をつなぐことができた。この役割はとても大事なのだと思う。

そして、ファシリテーターは生徒に学びを押し付けたり思う方向に誘導したりするのではなく、一緒に悩み、考え、学ぶのである。その姿勢が大事なのだと感じた。

他人に決められた学びより、自分で決めたこと学ぶほうが絶対に主体的になるよね。無理やり主体性を育む、とかいうんじゃなくて、そんな学びにシフトしていく必要があるのではと身に染みて感じた。


で、教科の授業どうする?


そんな話になるわけですけども。指導要領とか見るとね、科学的な見方がーーとか主体性がーとか書いてるわけですよ。

こんなもんね、今まで通りの授業で実現できるかと。いや、実現可能な部分もあるかもしれないですよ。超絶話の上手い先生なら生徒を引き込んで学びたい、と思わせるような授業を展開できるかもしれない。

でもね、私みたいな凡人には1人楽しく化学のお話するしか能がないわけですよ。

だめ。楽しくない。いや。楽しいのは自分だけ。生徒はさほど楽しくない。一部は面白く思って聞いてくれるけど。

もっと楽しいと思って学ぶ人が増えてほしい。


うーん、何となく、どうすればいいか見えている、というかやってみないとわからないけど、こうしてみればいいんじゃない?というのは頭の中にある。でも、これ準備がとても面倒くさそう。指導要領を読み込んで授業計画を立て、生徒に何を提示し、自分は何を準備するか・・・

いや、今回の探究における学びで気づいたではないか。学習内容自体を生徒に計画させればよい。これをまずはやらせてみたいと思っている。

生徒がPDCAサイクルを自分で回していく必要がある。これもいろんな研修で最近よく聞く。じゃあPlanやらせなきゃね!ってことで。

なるほどプロジェクト学習を取り入れている私立の小中学校なんかはずっとこういう考えだったのね。

まーしかし、いろいろ想定しないと大変なのは大変・・・いや、想定外が出てきたら一緒に考えて楽しめばいいのか。うん、なんか少し楽しくなってきたぞ。

あとネックなのは評価ですね。大学入試があるのでやはり評価はつけなくてはならない。

いま、高校は新学習指導要領に沿った観点別評価をどうするかで結構頭ガチガチ。

大学入試共通テストがあるので学校でもテストはもちろんなくならない。評価しなくてよい学びだったら本当楽しいのだけど、そうもいかないのがこの世の中。

学ぶ内容、学びたい大学によって必要な基礎知識等が変わるのは仕方ないかなと思う。


評価はテストと日々の学習の記録をもとにしたレポートでしょうか。

知識・技能

思考力・判断力・表現力

主体的に学習に取り組む態度

うん、評価できるんじゃね?(適当

まあ、ルーブリックぐらいはちゃんと作って評価せねばならんか・・・

でもね、ルーブリックも使い方によっては良くない方向に行く可能性もあるのではと。

こんな姿を目指しましょーって提示するわけじゃないですか。生徒はそれありきで、高評価を得られる行動ばかりを追求する。本来感じてほしい学びの面白さとかが薄れていく。これは嫌だなあと。

まだ使ってみたことないのでどうとも言えないのですけど。

生徒がいい成績を目指して頑張るのは当然なんだろうけど、そうじゃなくて、試行錯誤しながら楽しく学んだ結果、ここまでできた、ここまではできていない、とかをちゃんと判断できることが大事なのではないかと思うのです。

そんなルーブリックや授業設計が必要じゃないのかなあと。そう考えると、ルーブリックを最初に提示して、これがわかったらAだよ!とかやっちゃったら、それしか勉強しないんじゃないのかなあ。それに関する問題を出して、解けたらOK、と評価せざるを得ないし・・・

そう考えると、レポート評価のルーブリックはある程度あいまいなほうが良い・・・のかな

しかし生徒はPDCAを回さなくてはならない。評価の理由がわからないと改善のしようがないってもんだ。この辺が難しい。誰か、この辺詳しい人ー!

また、大学の先生などに話を聞いてみたいところである。個人的にメールしてみるか・・・


悩みは尽きない


どんな仕事でも、悩みは尽きないと思う。

もーね。問題山積みですよ・・・note書いている場合じゃないって!


とりあえず、教育の方向性について頭が少し整理できたのでここら辺で。

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