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真実を探し出す必要はないが、虚偽を探し出すことは確実に必要である

学びが浅い段階においてコース学習者がしてしまいがちなこと

「この世界は幻想だ、夢だ、実在しない、何も起きていない」ということがいくら分かっていたとしても、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を日々実践していくと、それだけでは役にも立たないし、何の助けにもならないということが分かってきます。

つまりは、「この世界は幻想だ、夢だ、実在しない、何も起きていない」ということだけでは、目覚めていくための実践としてはまったく不十分だということが分かってくるわけです。

それに似た実践として、コース学習者の私たちがよくやりがちなのが、

「この世界は幻想だ、夢だ、実在しない、何も起きていない」
「すべてはドラマだ、映画だ、起きることが起きているだけ」
「私たちは一つなのです」
「私たちは愛なのです」
「あなたは愛されています」
「自分を愛しましょう」
「聖霊を愛しましょう」
「聖霊に祈りましょう」
など、

多くのコース学習者がコースの教えとはそういうものだと捉えて、そのような学び方と実践をしてしまうわけですが、それではいっこうに学びが進んでいかないということです。

それはコースの学びが浅い段階においてよくやりがちなことだといえます。

つまり、真理や愛といった心地良いもののほうばかりにフォーカスしていきがちになるということです。

私たちが覚えておかなければならないのは、コースの実践で私たちがしていかなければならないことは、真理や愛を邪魔しているもののほう、つまり、目を向けたくないもののほうにフォーカスしていくということです。

あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではなく、ただ自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことだけである。真実を探し出す必要はないが、虚偽を探し出すことは確実に必要である。(T-16.Ⅳ.6:1-2)

奇跡講座/中央アート出版社

コースが教えていることを理解するようになるなら、コースの実践で私たちがしてしていくのはそのようなものだと分かってきます。

つまり、コースは従来のスピリチュアリティとはまったく真逆のアプローチをしていく霊性の道であるということが分かってくるということです。

そして、その実践をしていくならば、「この世界は幻想である」といったことを知的に知っていたとしても、それではほとんど意味をなさないことも経験的に学んでいくことになるといえます。

ようするに、このコースは、幻想(自我/虚偽)をただ否定していくような実践とはまったくちがうということです。

そのような誤った実践の仕方について、コースの中では次のように述べられています。

そうする者たちは、否定の中でもとりわけ無価値な形の否定に携わっていることになる。(T-2.IV.3:11)

奇跡講座/中央アート出版社

愛を阻む障壁は見つけ出されて、はじめて取り消しが可能となるのです。

では、どのようにして愛を阻む障壁は取り消されていくのか?

というなら、その手法が「奇跡」(赦し)と呼ばれるものであり、だからこそ、私たちはその「奇跡」(赦し)について学んでいくことが求められているわけです。

コース学習者の私たちは「奇跡」という手法で愛を自覚して(思い出して)いくことを目指しているのだということです。

コースの学びを通してこの世界の夢から目覚めていきたいのであるのなら、コースの学びと実践においてそのことをしっかりとわきまえておく必要があるといえましょう。


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