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実相世界へと至るその階梯はまったく曖昧なものではない

ケネス・ワプニック博士の解説を理解していくことの重要性

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学ぶのであれば、ケネス・ワプニック博士の解説で学ばれることをおススメするわけですが、なにせワプニック博士の解説ですらも難解だと感じてしまうのは否めません。

それでも、根気強く、地道に、ケネス・ワプニック博士の解説で学んでいくならば、コースを通してこの世界の夢から目覚めていこうとする者にとって、とても助けになると言うことができます。

何よりも、その実践ができるようになっていきますし、実践的に学んでいけるようになっていくといえます。

というのも、ワプニック博士は実践的なところも詳しく解説してくれているからです。

日々の実践に適用していくことによって、ワプニック博士の解説のさらに深いところが理解されるようになっていきます。

むしろ言い換えるならば、ワプニック博士が解説する内容が理解できないならば、当然、コースの実践すらもできないと言うことができます。

そう、もしワプニック博士の解説する内容が理解できないまま実践しているとするならば、それは歪曲したコースの学びと実践をしているといえましょう。

なにせ、ワプニック博士が解説する内容が理解できるようになるならば、それに伴って、同じように、テキスト、ワークブック、教師のマニュアルについても深いところから理解するようになっていくということです。

コースの学びは、その形而上学の理解と共に、その理解に基づいた実践によって、さらにコースの深淵なところが理解されていくわけで、コースの学びはそのようにして深化していくということを知っておくと良いでしょう。

ですから、「形而上学の理解」と「その理解に基づいた実践」というその両輪が必須なのだということです。

そのプロセスは階梯を一段一段上って行くようなものである、というふうに言うことができます。

コースの学びが深まっていけばいくほど、階梯を上っていけばいくほど、それまではけっして見えなかった景観が見えてくるようになります。

それは、コースを学ぶ以前の階梯の一番下からではけっして知られることのない景観です。

この私もまだその階梯の途上にいるわけですが、途上とはいえ、その景観たるは明らかに以前の視点からは想像だにしなかった景観だといえます。

それは、自己認識(アイデンティティー)のシフトに伴う知覚のシフトによってもたらされるものです。

だからこそ、ワプニック博士の解説する内容がとても実用的、しかも有効的だと実感するわけです。

私自身が認識しているその景観は、ワプニック博士の解説があったからこそであり、彼の解説がなかったならば、この景観に達することはなかったと断言することができます。

進んでいくにつれ、この道はかなり違ったものとなっていく。また、旅を続けるにつれて目前に現れてくる壮大さや、雄大な景観や、広々と開けていく眺望のすべてについて、あらかじめ知ることはできない。だが、それらの壮麗さは先に進むにつれて言葉に尽くせぬ高みにまで達するとはいえ、そうしたものでさえ、この道程が消滅してそれと共に時間が終わるときに待っているすべてに比べれば、その足元にも及ばない。 (M-19.2:5-7) 

奇跡講座/中央アート出版社

実際、ワプニック博士が解説するコースの教えをしっかりと理解していくならば、その階梯の一段一段は漠然としたものではなく、明確で確実なものであるのが分かってきます。

実相世界へと至るその階梯は、まったくもって曖昧な階梯ではないということです。

学べば学ぶほど、その階梯はより明確になっていきます。

むしろ、私たちはそうなっていくためにコース形而上学を学んでいるといえます。

ただし、私の経験からいえるのは、ワプニック博士の解説なしでその階梯を上っていくことは不可能どころか、その階梯すらも見つけることは難しいといえましょう。

とはいえ、はじめに申しましたように、ワプニック博士の解説を理解していくことすらも、そう簡単ではありません。

ですので、それを理由に、ケネス・ワプニック博士の解説で学んでいくことをあきらめないでいただきたいのです。

私たちはコースの学びと実践を通して、その階梯を上って実相世界に至ることを目指しているわけですから。

その最上段(実相世界)への階梯が見えてくるなら、むしろ、このコースの学びと実践が楽しみにすらなってきます。

それが、さらにコースの学びを進めていこうというモチベーションになります。

何が言いたいのかと云いますと、ワプニック博士の解説を理解していくなら、確実に、学びの階梯を上っていくことができるということです。

言い換えるなら、ケネス・ワプニック博士の解説なしでは、コースの学びの階梯をのぼっていくのは無理だと言っても過言ではありません。

それは私のコース学習の歩みの経験からの見解でしかありませんが、ケネス・ワプニック博士の解説の深淵さを本当に理解していくなら、きっとそのことが分かるでしょう。

それとは反対に、コースを何年も学んでいながらも、学びの階梯の一番下に留まったままになっていることは、よくあることです。

とくに、コースを長年学んでいる学習者に限って、自分は階梯の一番下に留まったままということが認識されていないケースはよくあります。

ワプニック博士の解説をしっかり理解できているかどうか?
あるいは、
自分は(個を超えた)心であることの認識があるかどうか?

もし、それが曖昧であるならば、階梯すらまだ見つけていない状態だと言うことができます。

なぜなら、この学びの階梯には一切曖昧さがないからです。

なぜなら、ケネス・ワプニック博士の解説には一切の曖昧さがないからです。

なにせ、コースの学びの階梯を上っていこうと本気で望んでいるのならば、そして、実相世界を見たいと本気で望んでいるのならば、ワプニック博士の解説する教材で学んでいかれることをお勧めする次第です。


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