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訂正していくためには、誤りを見つけ出していく必要がある


誤りと訂正

当然のことですが、訂正がなされるためには、誤りに気付かなければ、その訂正がなされることはありません。

もし誤りに気付くことがなかったとしたら、それは誤りのまま保持されることになります。

そうであるなら、もちろん訂正もなされません。

ですから、言いたいのは、「誤りを認識すること」がいかに重要かということです。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践でいえば、「自分は誤っている、自分は間違っている、自分は狂っている」ということを認識しないかぎり、訂正はなされないということです。

コースというスピリチュアリティは「訂正」の霊性の道であるということを覚えておきましょう。


奇跡とは訂正である

コースは訂正の道であるということについて、コースのワークブックにも、以下のように述べています。


奇跡とは訂正である。それは創造することはせず、実際、何の変化ももたらさない。奇跡はただ惨状を見つめ、そこに見えるものが虚偽であると、心に思い出させるだけである。(W.pII.13.1-3)

奇跡講座/中央アート出版社


コースの実践において、私たちは誤りを認識していくことが求められているのだということです。

そうするとき、訂正はなされるわけです。

では、何が誤りなのか?

というなら、自我を教師としていること、つまりは、分離の想念を信じているということです。

その自覚/認識なくして、その訂正はあり得ないということです。

誤りは認識されて、はじめて知覚の訂正がなされるわけです。

それはどのような知覚へと訂正されるのか?

というなら、

すべてを包含して全一に虚偽であるとして知覚されるということです。

それが、全一なる知覚であり、真の知覚と呼ばれるものです。

そして、その知覚の訂正を、コースでは「奇跡」と呼んでいるわけです。

私たちはその知覚を修得するためにコースを実践しているのだと言うことを憶えておきましょう。


奇跡とは訂正である。(W.pII.13.1)

奇跡講座/中央アート出版社


私たちは、「奇跡(訂正)」を通して、真の自己に目覚めていくことを目指しているのだということです。

このコースが、『A Course in Miracles』(奇跡のコース/奇跡講座)と呼ばれる所以(ゆえん)が、そういうことなわけです。

これは、「A Course in Love」(愛のコース)でもなければ、
これは、「A Course in God」(神のコース)でもなければ、
これは、「A Course in Truth」(真理のコース)でもなければ、

これは、「A Course in Miracles」(奇跡のコース)なのだということです。

すなわち、コースは、訂正の道(コース)なのだということです。

そう、訂正していくために、私たちは誤りを見つけ出していくことが求められているのです。


あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではなく、ただ自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことだけである。真実を探し出す必要はないが、虚偽を探し出すことは確実に必要である。(T-16.IV.6:1-2)

奇跡講座/中央アート出版社


誤りを見つけ出していくことが、つまり、誤りを自覚/認識していくことが、私たちがコースの実践でしていくことなのだということです。

そうして、訂正はなされるのです。

「誤り」とは何か?

それは、愛を阻む障壁のすべて、です。

「誤りを見つけ出す」とは、つまり、「愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出す」ということです。

コースは、そういうものであるにもかかわらず、つい、私たちは、愛や光や平安のほうにフォーカスしていこうとします。

そうではなく、私たちがコースの実践でしていくのは、誤りを見つけ出していく、つまり、愛を阻む障壁を見つけ出していくことだということを忘れないようにしましょう

誤りを訂正していくことが、私たちがしなければならないことなのです。

つまり、それなしでは何の解決もなされないということです。

それなしでは、「奇跡」はけっしてあり得ません。

このコースは、「奇跡」という手法を使って自分が何者なのか?に目覚めていく道なのであり、だからこそ、「奇跡のコース」なのです。

コースを学ぶのであるなら、コースはそのような霊性の道だということ理解しておくことはとても重要だと言うことができます。


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