生きものに触れる

最近に始まったことではないですが、
ヘンなおばさん全開な日々なんで、
ちょっとそのうちのひとつを告ります(笑)

住んでるのは郊外。
自宅の敷地を一歩出たら、アスファルトで固く覆われている道を革靴で踏みしめて駅へ。
満員電車に揺られ、高層ビルの中で一日を過ごす。
ペットと暮らすという夢も葬り去ってしまった今、
ふと氣づくと、生きものに触れることが全然ない。
料理に十分な時間もアサインできてなくて、
魚を捌くこともなく、野菜も土から切り離されて随分と時間が経過したものがほとんど。

かねてから、土が出ている場所がほとんどない都会に凄い違和感を持っていたのだが、
これはダメだな、という思いが強くなってきている。

ということで、
ごくごく親しい人には、5年位前から時折やってるこのことを話すことがあったんだけど、
これ知らない人に話したら引くだろうな〜。
実際、誰かがやってるのを目の当たりにしたら、この私でさえも怪訝な表情を向けるに違いない。
ということを、このごろ毎朝(笑)

信号待ちで、街路樹に両手で触れる。
それをやる歩道にさしかかった時、信号が青だったら、
渡ったところにある決めてる木で、それをやる。

私の中では、タイトル忘れてしまったんだけど、
海外の有名な映画のワンシーンで、木と繋がることで潰えそうになっていた生命が復活するのがあって、それが頭に浮かんでいる。
このことを書こうと思ったのは、
ずっと観てたテレビドラマ『僕らは奇跡でできている』のワンシーンにも
主人公が森の大きな木に両手を触れて、頬もつけているのがあったから、
ですね、きっと。

このドラマの中のセリフにもあったけど、
私たちは、生まれてからこの瞬間までに出逢った総てのヒト、モノ、コトでできている。
それをいつも忘れずに過ごすことが、佳く生きられる鍵なのではないかと。
そして、土や生きものに触れることだなぁ、と。

ま、みんながみんな、信号待ちの街路樹に両手を付けてたら、と思うと、
それはそれで、奇怪すぎるかもしれないですけどネ。

そんなこんなで、金曜も木の鍵盤に触れながら歌う時間を持てて、
つくづくシアワセだな〜と。
歌ったり弾いたり喋ったりで一緒に過ごす時間を楽しみにしています。

次回ライブは2019年1月12日(土)祖師ヶ谷大蔵エクレルシです。
http://ackeylive.sblo.jp/article/185188861.html
ではでは♪


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