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「お前は大丈夫だぜ、休むんだぜ」

「それでいいぜお前は休むんだぜという言葉を私から以外もたくさん受け取ってください。大丈夫だよってみんなに言われると、ちょっとホッとするかもです」

今日、仕事の手伝いをお願いしている友達から言われた言葉。お酒を飲むよりおいしいものを食べるより、よく眠るよりも元気が出た。ありがとう(敬語なのは、元々職場の後輩だったからである)。

「大丈夫」って言葉、いいですね。みなさんからの「大丈夫だよ」お待ちしています。

私は休むのが本当に苦手で、かといって常にバリバリ働いているとかじゃなく、むしろ予定がなければ昼まで眠っているくらい、生活はダラダラとしたものである。でも休むのは苦手だ。

どう苦手なのかというと、なんというか、ダラダラとボーッとしていても、「お前は何をやっているんだ」「そんなことをしている場合じゃないだろう」「あれもやらなければ、これもやらなければ」ということが、ずっと頭の中を巡っている。

どうも私は切り替えというものができないらしい(その代わり、いつ連絡があっても大抵対応ができるという利点はあるのだが)(利点なのかどうかは怪しいが)。だからダラダラしていて、何も進んでいないのに、疲れがとれない。むしろどんどん疲れていく。

常に焦りがある。プレッシャーを感じる。誰も焦らせていないのに。プレッシャーなんて誰もかけていないのに。焦らせているのも、プレッシャーを感じさせているのも、私が、私に対してなのに。

締め切りはまず落とさない。落とさせもしない。ドタキャンはしない。連絡はできる限りすべてすぐ返す。タスクを放置しない。ボールを持たない。成果を出す。結果を出す。早く出す。ノルマを大きく超える。ちゃんとしなきゃ、ちゃんとしないと、ちゃんとしないとだめだ。

でもたぶんそれでも私はたくさん人に迷惑をかけているし、きっと見えないところでたくさんのフォローをしてもらっているし、気をつかってもらっているし、ちゃんとなんかできていないこともたくさんあって、だからこそ私の思いつく限りの、できる限りの「ちゃんと」をしないといけない。

いつもそんなことを考えて仕事をしている。

なんかたぶん大事なのってそういうことじゃないのにね。わかってはいるんだけどね。目の前のものをちゃんとすることばかりでいっぱいいっぱい。ちゃんとしなくなったらどうなっちゃうのかがこわい。一度全部投げ出してみたいなとは思う。

あと、人にも「ちゃんと」を求めて、偉そうになったり、厳しくなってしまうことも多い。それからも解放されたいし、私と一緒に仕事している人たちがそんな目にあわないようにしたいものだ。

そのためには私が「ちゃんと」から解放されないといけないのだが……うーん、堂々巡りである。

「私はちゃんとしてるのに」と無意識的に思っていることすらある。そんなの吐き気がするのに。私はちゃんとしてるって何だ。みんなだって頑張っているし、ちゃんとしてるし、私だってできていないことが多いのに。はたと気付くたびに吐き気がする。

我ながら面倒臭いなあと思う。毎日こんなことばかり考えて時間が過ぎていく。そこからいつまでも解放される気配がないまま疲れていく。

そんな私に対して友達は、「切り替えようと思うと切り替えられなくなるから、外的要因で無理やり変えたほうがいい」「場所を変える、体温を変える、服を変えるとか」「なんなら今夜一緒に大江戸温泉へ行こう」「ノルマを設定して映画を見るのもいい」と、思いつく限りの提案をしてくれた。優しいなあ。私もそういう人になりたいものだ。

なんだかもうそれだけでも、充分に癒えた気もする。でもやっぱり、来月は一緒に温泉へ行こうと思う。ありがとう。

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