「人の言葉に左右され過ぎだし、この言葉も無視したっていい」

大学生の頃に一度、そして社会人になりたての頃一度、そんなようなことを言われた。

大学時代の私は、学園祭に参加する学内全サークルの統括をしていた。学園祭の参加にあたっては責任者の方々には定期的な会議に参加してもらわなければならず、ただでさえ面倒なその会をできるだけリラックスして過ごしてもらいたい一心で、わざと砕けた態度を意識していた。

だが、それが裏目に出た。「態度が悪い」とクレームがついたのだ。

こちらが意図したことを、周囲がその意図どおりに汲んでくれるとは限らない。むしろそうならないことの方が多いものだ。

そもそも私は責任者の方々と揉めたくてやっていたことではないので、すぐコミュニケーションをチューニングしたのだけど、当時先輩に言われたことがある。

「自分が『違う』と思ったら受け止めなくていいんだよ。真摯に受け止めて、改善しようと思えることだけをやればいい」

何でもかんでもまともに受け止めて、そのたび自分をチューニングしていたら、自分の意思も意見もなくただ周りの価値観という支えで立つ枯れ木のようになってしまう。そりゃそうだ。

だから私はその一件でむやみに落ち込む必要はなかったし、自らの意思をもってやっていたことなのだから何でもかんでも変える必要もなかったし、大切にしていた価値観や気持ちまでどうにかする必要はなかった。

社会人になってすぐの頃にも、似たようなことを言われた。右も左もわからず、言われたことについて自分の頭で深く考えもせず(その余裕もなかったのだが)、思考ではなくインスタントな判断だけをして仕事を進めていた。

人の言葉に右往左往していたし、自分がどうしたいかではなく、相手の言う通りにすることだけを頑張っていたし、「違う」と言われたら「違うんだな」と思っていた。

そんなとき上司に言われた。

「あなたは人の言葉に左右され過ぎだし。なんならこの言葉も無視したっていいんだよ」

これだけ人の意見や強い言葉、正義を決める価値観が数多くあると、知らず知らずのうちに引っ張っられてしまう。それは当然なのだ。

もっともらしいものというのは、弱っている人間につけこんでくる。 弱って自分の価値観が揺らぐと、強い言葉が正しいように見えてくる。

それは本当に自分の価値観なのか。自分の意思なのか。誰かの価値観を振りかざして、「自分は大丈夫」と安心してしまっていないか。

価値観は人に振りかざすためにあるものじゃない。自分を強くするためにあるものだ。私はそう思う。

そうは言っても私もまだまだよく弱って、もっともらしいことにつけ込まれて、自分を見失うことがある。そのたびに、二人の言葉と思い出すのだ。

……これはおまけの話だが、また別の上司に言われたのが、「生きてる人を尊敬しないほうがいいよ。生きてる人はやることも生き方も価値観も変化するから。尊敬するなら、死んだ人に限る」ということ。本当にその通りだなと、つくづく思う。



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鈴木梢(あこ)

89年生まれのフリーライター/編集者。専門メディア以外で芸能人インタビューをよく編集しています。たとえば「Yahoo!ニュース特集」など。かつてはWoman Insight(現CanCam.jp)の人でした。趣味は国内音楽フェス巡りと『龍が如く』。大体三軒茶屋で飲んでいます。

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