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中学生の私とニッポン放送の「あの夜」

中学生の頃、通っていた学校でジワジワとラジオブームが起きていた。

小学校から高校まで一貫の女子校であるにもかかわらず、流行したのは芸人ラジオ。しかも、とあるひとりの芸人の、深夜の帯番組。上田晋也さんがパーソナリティを務める『知ってる?24時。』(ニッポン放送)だった。

その名の通り24時から始まる1時間番組で、月曜日から木曜日まで毎週放送されていた。21時からは有田哲平さんの『目からウロコ!21』も放送されるようになり、『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』はそれらの文化を一部受け継いでいくことになる。

『知ってる?24時。』は、主に中高生を対象とした情報番組だった。もう記憶が曖昧だが、リスナーからのメールを上田さんが読むというよりは、メールをもとにスタッフが調査を行ったり、リスナーが直接生電話(もしくは録音)でコーナーに参加をすることが多かったように思う。

あらゆるコーナーに名物リスナーがいて、CM明けのジングルもリスナーが担当していた。稲毛の大魔神さんや、スーパーセクシーボーイさんは元気にしているだろうか。

当時私は初めてラジオに出会い、『知ってる?24時。』から始まり、オールナイトニッポンに出会い、2003〜2005年あたりのオールナイトニッポンは大体聴いていたように思う。福山雅治さんの魂ラジで当選した校内放送用CDは、今でも家にある。

番組企画を発端に起きた、ある事件

2003年に番組内で、「愛する学校ランキング」という企画が開催された。
確か、学校への愛をメールやファックスにしたためて、ニッポン放送に送りつけることで集計され、1位になった学校に上田さんが遊びに来てくれるという仕組みだったと思う。

この企画を発端に事件は起きた。
校内でジワジワと人気を集めていた番組だったが、「どうしても上田晋也に会いたい」その一心で学校中の生徒が動き出したのだ。

誰もが毎日番組にメールやファックスを送り続け、さらに保護者やその家族まで巻き込んで投票数を増やし、我が校は「愛する学校ランキング」最終結果が出る直前に1位に辿り着いたのだ(記憶が定かではないが)。

しかし校則により、テレビやラジオなどの出演はいっさい禁止されていた私たち(もちろん上田晋也さんを学校に呼ぶこともできない)。さすがに一大ムーブメントになり過ぎて、学校にバレ、その企画にメールやファックスを送ることが禁止され、結果1位は別の学校となり、企画が終了した。あまりに悔しくて涙した。

ほかにも、自薦他薦を問わず学校のマドンナを決める企画では、「あまりにも自薦が多過ぎる」という理由で、我が校のみの選抜戦が放送された日があった(気がする)。
自意識過剰な我が校の女たちによる番組ジャックである(この企画でバレたのか、先述の企画でバレたのかはもはやよく覚えていない)。恥ずかしいにも程がある。私は応募も出演もしていないが、素性を知っている先輩たちが何人も出演していた。あの放送を決行したニッポン放送は本当におかしいのではないかと、今になって思う。自薦が多過ぎる我が校もおかしいのだが。

我々にはラジオネームがある。よっぽどのことがなければ身バレはしない(当時はSNSもないし)。企画が終わっても、一部の生徒たちは熱心にメールを送り続けた。「あのラジオネーム、◯年◯組の◯◯さんらしいよ」みたいな噂をよく聞いた。卒業式に参加したとき、証書授与で読み上げられた先輩の名前を聞いて、「あの人がラジオネーム◯◯さんか……」と確認したこともあった。

上田晋也さんと生電話をしたあの夜

他人事のように書き続けたが、私も、もちろんメールを送っていた。メールは何度か採用され、当時はノベルティとして、モバイラーズチェックという携帯電話用のプリペイドカードが送られてきた。

メールを送り続けていたある日のこと。22時過ぎか、23時ごろだっただろうか。携帯電話に知らない番号から電話がかかってきた。出てみると、ニッポン放送の、『知ってる?24時。』のスタッフと名乗る人からだった。

送ったメールが採用され、番組最後に毎回行われていたクイズコーナーに、生電話で参加することになった。
番組終盤なので、25時手前。つまり、あと2時間くらいで急に上田さんと話すことになってしまった。毎日心の支えにしてきた上田さんと話すのか。あの声がラジオではなく、電話口から聞こえるのか。その上、クイズまで答えなければならないのか(自分で応募したものの)。スタッフからの電話に、当時中学生の私はパニックになっていた。

「今から電話で打ち合わせをしましょう。そこで決まった内容を台本にして、ファックスを送るので、それを読み上げてから上田さんと会話してください」。
スタッフからそう告げられ、電話で打ち合わせをし、数分後には自宅の電話に手書きの台本が書かれたファックスが送られてきた。

流れとしては、打ち合わせをして、応募の際のメール内容を整えてもらい、それを番組で読み上げ(ここで名乗る)、その後数秒間上田さんとフリートークをし、上田さんからクイズを出題され、私が与えられた制限時間内に調べて答えるというものだった。

当時はまだスマホがないし、ガラケーやパソコンでインターネットに繋ごうにも、すぐに充分な検索結果が出るわけでもない。しかも当時はまだ携帯電話の電波も安定せず、番組には家の固定電話から繋いでいた。パソコンのインターネットは有線接続で、固定電話とは離れた場所にあった。クイズの答えを調べる術がない。明らかに詰んでいた。
たぶん、数分後に「わかりません」とか適当なことを言って、散々な結果に終わったように記憶している。正解してプレゼントをもらうことができなかったことよりも、上田さんとうまく話せなかったことのほうが無念である。

当時は何を思ったか、毎回違うラジオネームでメールを送っており、どんな名前で送っていたかも今となっては何も覚えてはいない。しかし自宅には確かにモバイラーズチェックが複数枚あったし、出演した際のファックスもあったし、何度か番組には出演したのだろうと思う。それらも今となっては引っ越しの際に紛失してしまったのだが。

時は経ち、私は33歳になって、オールナイトニッポン55周年記念公演『あの夜を覚えてる』OFFICIAL BOOK(公式パンフレット)の企画・編集を担当した。公演は3月20日、3月27日に行われる。パンフレットは、先日無事に校了を迎えた。公演を盛り上げるための素敵なものが出来上がったと思う。

中学生の私よ。まだ上田晋也さんとはお仕事をできていないけど、オールナイトニッポンに仕事で関わることはできました。あなたはちゃんと頑張ってやりたいことを掴める人なので、安心してください。そう伝えたいなと、数々の「あの夜」を振り返りながら思いました。皆さん、パンフレット買って、公演観てくださいね。


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