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助産師体験談 vol.15

今日も寄っていただき光栄です。
ありがとうございます。

ちょっとシリアスなお話。

赤ちゃんは在胎週数が22週を超えると
生存可能ですので、生まれてきたら
救命する事が前提。

ある夜勤中
お腹が痛くて
お股がなんかおかしいと
入院してきたHさん

ドクター診察の後すぐ分娩室へ。
わたしはもう一人進んできている
赤ちゃんがいたので病室に行っていて
戻ってきたときに、事態の把握に
一瞬止まりました。

Hさんは双子ちゃんのお母さんに
なる予定でしたが、
赤ちゃんを包んでいる羊膜が
子宮の入り口から出ていました。

胎砲と言います。
破水は羊膜が破れた状態ですね。

胎砲形成はお産の途中で
進んできている診断にもなりますが
胎砲が出てきているということは
子宮の入り口の
赤ちゃんを守る機能がおかしい
ということにもなり得ます。
それを子宮頸管無力症とも言います。


Hさんは21週でした。


そして運悪く陣痛がありました。
10分切ってた。
しかも3cmオープン。
普通は閉じているんです。
21週などまだまだ
閉じきっていて
はじめての妊娠の方だと
40週超えても開かない人多いくらい
子宮の入り口は
しっかり閉じています。

ドクターはとても悩んでいます。
お腹の張りを抑えて
胎砲がもどせるか?
張りは抑えられて
コントロール下になるか?
3cm開いてきてて
展退も良い
このままだと生まれる...
21週...
搬送途中でお産になるかもしれない
危険が極めて高いけど
搬送すべきか?
生まれたとしても生存は厳しい...

ご本人とお父さんになる気満々の
お父さんとに説明をし
どうするかを決めてもらわないと
いけません。

その間にも陣痛の波はきます。

わたしはもう一人のお産の方の
状況も報告し、どうこの難局を
乗り切るか、また頭フル回転
助産師はわたしだけ。

Hさんは先生にお任せして
もう一人の方のお産を
あそこ(LDR)でお世話する事にして

あとはスタッフみんなへの周知を
マッハで真剣に
繊細な状況だという事を
笑い声世間話一切禁止を
徹底しました。

Hさんの決断を待つ間
もう一人の方も順調に進んでます。

運良くスムーズで
Hさんより先にお産になって
元気いっぱい
より元気いっぱいに
聞こえる産声でした。
お産が同時になりそうだったのに
ちゃんとずらしてくれてる...
こんなところまで
赤ちゃん同士で
想い合ってる。
きっとわたしの動き次第では
双子ちゃんが大事にしてもらえない事も
きっと加味されてたと
今でもあの不思議は
そう信じさせられるに
十分です。

生きるって
生きる側も必死なんだ

Hさんの赤ちゃんも
今必死に生きている...

泣きそうでした。
わたしが泣いてはいけない。
泣きたいのはわたしなんかじゃない。
Hさんであり
ご主人であり
赤ちゃん達のはず。
そこに土足で入っちゃいけない。

グッとこらえて
お産のお片づけと
お母さんのお世話をし
あとは他スタッフに任せ

分娩室に戻ったとき
Hさんは泣きながら
諦めますと嗚咽混じりで
決断しました。

もう陣痛が6分になっていて
胎砲が破水しないまま大きくなってます。

何かしてあげたい事はない?
思い出に何か残せるよ?
写真撮っても良いし
抱っこもできるよ
体重も身長も測るよ
名前も決めて良いよ
臍の緒持って帰れるよ

あらゆる提案をしました。

その当時グリーフケアがまだまだ
浸透してないので
思い出に何か残すとかの話は
ものすっごいタブーにされている
雰囲気でした。


会わせない事が普通。
見せない事が良しとされてました。


わたしには
そんなの関係ねーっ
そんなの赤ちゃんとお母さんとの絆じゃー
他人が邪魔すんじゃねーっ
って今でも純粋に思ってます。

でもHさんもご主人も
面会を拒否しました。
気が変わったらいつでも教えて下さい
とだけ伝え...

腰が痛くなってきて
汗も出てきた。
さすりつつ
圧を感じたの会陰を開くと
胎砲がそこにありました。
ドクターコールをし静かなお産。

つるんと羊膜ごと
胎盤さんも一緒に
綺麗に2人仲良く
生まれてきました。

羊膜の中で
赤ちゃんは動いていました。
羊水は透明なので透けて見えました。

生まれてからの事は聞きたくないと
拒絶されていたので、
わたしからは説明はしませんでした。
性別もなにも言いませんでした。
結局わたしが赤ちゃんの最期を
看取った形になりました。

まるで標本から出てきたような
綺麗な俗に言う2卵生双生児
お部屋は一人ずつ。
胎盤さんはまだ小さかったけど
くっついてるように見えたけど
一つずつ持ってました。

赤ちゃん達が動かなくなるちょっと前に
何かホワンと明るくなった瞬間があって
本当かどうかなんてどうだって良い
ただ
分娩室で一人向き合ってたので

ありがとう
おめでとう
お疲れ様
またいつか

とこっそりつたえ

涙をこらえて
仕事を進めました。

お部屋に戻ったHさんに
お産に関わったスタッフ全員
訪室禁止と言われた(激怒っす)ので
その後を知りませんが

今彼女がお母さんになって
笑っていることを祈るばかりです。

この後またもう一人
元気な赤ちゃんが
産声をあげて生まれてくれました。
まるでわたしを励まし
笑顔にしてくれるためかの様な
感謝が溢れる時間でした。



わたしはこの世に中には
まだご縁はなかっただろう
赤ちゃん達にいつも可愛いなぁって
声かけしているへんな人だった。
今でもそのまんまですけど(苦笑)
今では少し理解してくれる人も
増えたかもしれない。
可愛いって言う人も
増えたんじゃないかな。

胎盤さんを業者さんに引き取って貰い
処理していただくんだけど、
胎盤屋さんのおじいちゃんに
あんたは不思議な光を
まとっとるのぉ
良いのぉ安心やなぁ
って会うたびに言われてました(照笑)
胎盤屋さんのおじいちゃんは
赤ちゃんを火葬するのに
自分たちじゃ連れていけないって
ご家族も多いから
そこまで連れて行ってくれてたりもして
お花一緒に入れてくれたりする
優しいおじいちゃんだったんだぁ

なぜかそういうとこと
仲良しなわたし(苦笑)

沢山の御霊に
感謝して
置きます。

ありがとうございます。

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