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NEEDY GIRL OVERDOSEをプレイしたら下手なカウンセリングより救われた

ジェルばんは!
さてnote。大学にまともに通わないで卒業し、仕事もろくに見つけられず、いろんな非正規雇用でボコボコにされてる頃に始めて、自意識だけが過剰になっても社会じゃ何も認められない鬱屈さを表現するために始めていました。
最後の力を振り絞って公務員試験に受かってなんとか社会から人権を与えられるようになり、普通の社会人としての身分を与えられた元メンヘラニートです。
そうすると、なんとか社会に合わせようと頑張っていると理性が働くので感性がどんどん鈍くなる。よって表現したいことなんかなくなってくるし、あまり人とトラブルならないようにしようと思えば思うほど無難なことをしようと、大人になろうとし過ぎてなんだか自分らしさもなんなのか分からなくなって、表現したいことも無くなったなあという状態で5年も経っていました。

結婚して子どもも生まれて、さらに自分の時間などなくなりましたが、表題のゲームについてTwitterでメンヘラの子を薬やセックスでごまかしながら人気配信者に育て上げるというゲームがSwitchでCERO D扱いという旨のツイートを見かけて、その情報だけで気になって購入してしまいました。

子どもの寝かしつけをして深夜23時。ちょっとだけちょっとだけ…と、進めたらとりあえず規定の30日間を迎えて、最初にしては衝撃なエンドに出会い、若い頃にエログロナンセンス作品に触れた時の精神への衝撃。
ギャルゲーのバッドエンドというものが怖面白くて大好きなんですが、破滅型マルチバットエンディングというのはとてもメンタルにきました。怖すぎて画面から目をそらしながらプレイするとか中学生ぶりの不謹慎系フラッシュをやって感じた気持ちでした。
そうでも、CERO Dなので激しい描写はないのが安心。あめちゃんが裏垢で結果だけ呟く方がとてもえっっっそんなことしたの…?(〃ω〃)という気持ちにしてもらってよかった。4回戦のエロスチルがあるよりよっぽどえっちだった。

作者のにゃるらさんについて調べてエッセイやインタビューとかも読ませてもらっている。どうやら全く同じインターネットアングラ文化を摂取してそちらの方を優先していた若い頃のようで、私が社会人になるにあたり、そういうのが好きだった自分をなくそうと頑張ってしまった結果、自分が何者なのかよくわからなくなって、結果鬱々としていたところに風穴が空いた。というか、純度150%の当時のインターネットが令和の新しい文化としてユーザーに殴りかかってきて、懐かしいとかを通り越して10代の薄暗い部屋で青白いライトを浴びていた思春期に戻された。

感性が大人になってあまりエンタメを楽しめなくなっていたし、二次創作とかも興味がなくなっていたけど、即アンソロを買い、悩んでからアクスタを買い、スタッフ本も公式ので購入できるならとすぐ購入。
このスピード感、10代の頃にろくにバイトでも稼げず、稼いだとしても居場所になってくれるところに巻き上げられていて、自分のオタ活のために素直に使うこともあまりできなかったことを考えると、社会人オタクになれていてよかった。
物が届くと仕事や日常のストレスもかなり低減しました。これがエンタメの力。
社会人としての日常については、ここに来るまでの人生があまりに人間扱いされず、自由なお金もなく、何してるのかよくわからない状態だったから、普通の人間をやらせてもらっている、というありがたさのみで感情面が無視されがちだった。

何かセラピーとかで本当の自分を取り戻すとか、そういうのに興味があったけど、過去の自分を恥じていてはそれはできないんですよね。
過去のあの文化が好きな自分はなぜそれが好きだったのかが、32歳にして感じ取ることができて面白かった。

聞けばもう発売1周年だそうですね。良い時期にハマれました。残念なのはネットプリントの期限の次の日にプレイをしてしまって間に合わなかったことですが、また、色々と記念イベントとか起こりそうで楽しみです。

しかし、エンタメを楽しむための感性が増幅されると若い頃常に感じていたうっすら死にたい気持ちが戻ってきてしまった。何かを楽しむには陰の力が必要なんだなと思う。

#needygirloverdose

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