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理想のキッチン探し77今度こそ

 成城で見つかった部屋は、駅から16分かかり、若干暗め、そして私たちの家賃負担が予算のマックスまで増えるというリスクはありつつ、京王線の仙川や千歳烏山はもちろん、小田急線沿線のお気に入りの町、祖師ヶ谷大蔵まで、自転車で10分ちょっとぐらいで行ける、という好立地。しかも友人が徒歩圏内に住み、先日の投稿で親しくなりたい方とはお裾分け交換会もできるほど近い、という何とも好条件の部屋でした。
 今まで数十件と内見してきましたが、予算が少ないせいか、人気の町ばかり見ているせいか、使いやすく住みたいと思える部屋が本当になかった。そもそも本棚が多過ぎること、供給の割合が賃貸住宅のうち5%にすら満たない80㎡以上でないと難しい、75㎡から80㎡弱だとレイアウト次第でトランクルームが必要などという、日本の住宅業界があまり想定してこなかった野望を抱いたからいけなかったようです。
 でも、そうやって部屋をたくさん見てきたことと、キッチンの研究と合わせてたくさんの本を読み専門家から話を聞いた結果、日本の住宅設計者たちは、モノが入ればよしとして、モノが使えるかどうかは考えていないらしいということも判明しました。彼らと彼らが気にしている利用者は、どうも家で家事をする人たちではない。家は休むところであって働く場所とは考えていない。だから広いリビングは作っても、キッチンはシンクとコンロさえ入ればそれでよし、としてきたことがわかってきました。
 今回見た物件は、おそらくもともとは高級分譲マンション。しかも、住宅業界が最も住み手に寄り添った時代のど真ん中、1989年に建てられています。パーフェクトではないけれど、かなり使いやすさと居心地の良さを考慮した部屋になっていました。
 だから私も初めて、ここは住みたいと思いました。

断念へ。

 しかし、今朝私は、珍しくこちらの要望をきちんと理解したうえで、よさそうな部屋を提案し続けてくださった不動産屋の営業の人へ、断りの電話を入れました。というのは、夫が帯状疱疹にかかってしまったからです。
 先日から、肩回りの傷みを訴えていた夫。最初はこの夏買ったリュックを、きつめに背負ってきたため、見えないところで内出血したことが原因でした。病院に行って湿布薬を貼り、しばらく過ごすうちによくわからない湿疹が背中や胸のあたりに誕生。私にも何かよくわからない。帯状疱疹の可能性はあったのですが、私が6年前にかかったときと湿疹の形が違う。「わからないから皮膚科へ行って」と言っていたところ、夫はしばらくしてから皮膚科に行き、そして即座に帯状疱疹の診断が下ったのです。
 そのショートメールを読んだとき、私はすぐに今回の引っ越しはなくなった、と思いました。夫は帰宅後、本当にいいのかと聞きました。私が行きたいと思った部屋が、あとはたぶん大丈夫な審査待ちだったことや、来週からマンション工事が始まることが理由です。冒頭に掲げた写真がその工事の場所で、撮影地は私の仕事部屋です。数十メートルの距離。
 確かに住みたかった。こんなちゃんとした間取りで世田谷区で、でも実はちょっと家賃負担は心配でした。計算したところ、私がコンスタントに多めの収入の年を維持しなければならない。もちろん、ある程度お金をプールして払い続けるなどの対策はすでに考えています。でも、ここにいれば、かなり安めで便利で、しかも慣れてきたのに、ヨーロッパだって行けるのに、100万円を大幅に超えるお金と、プロに頼んでも1週間かかる引っ越し作業と、疲労と、新しく位置から土地勘を育てることと……最近少しずつ地元ネットワークができてきつつあったのに。
 そんな躊躇を見透かしたかのような展開。
 引っ越しって体調を整えてするべきじゃないの?
 私が常々、疑問に思っているのは、今回もそうですが、賃貸住宅の引っ越しは、退去する部屋は1カ月前にオーナーに知らせねばならないのに、引っ越し先は往々にして2週間で家賃を払い始めなければならない慣行。たいていの場合、2週間は2重家賃になるわけです。なぜ、無駄な家賃を払わなければならないのでしょう?
 で、それは置いておいて。私は以前、体調が悪いときに引っ越したことがあります。結婚して最初に住んだ部屋が、抜け道で交通量が増え過ぎて睡眠障害が悪化し、西日がモロに入ってくるので夏の冷房が昼間効かない、という悪条件に耐え兼ね、引っ越した。しかしその直前は、今でも人生最大の超多忙期と思うのですが、日帰り岡山への出張、1泊の尾鷲への出張を加え、担当編集と編集長の意見が食い違って2回丸ごと原稿を書き直させられたうえにすぐにご縁が切れた出版社の雑誌などなど、休日ゼロの1カ月間でした。当日、友人たちにも手伝ってもらい、何とか引っ越しはできたけど、その直後に仕事の山がゼロになり、焦ってパワハラ編集長の下で働くことになってしまい、そして数カ月後には夜散歩しながら、「私が悪いのー」と泣きじゃくるうつの渦中に。悪夢の始まりというか第一章になってしまった引っ越しだったのです。そのうえその引っ越し先での暮らしは、今でも夫婦喧嘩が高じるとそこにさかのぼってしまう、2人にとって意見の食い違いが鮮明な火種になるほどです。
 ともかく、帯状疱疹はしっかり対策を取り休めば、けろりと治る人もいる一方、運が悪ければかなり深刻な症状が出て、後遺症も残る病気です。私は症状は微熱とあまりかゆくない湿疹だけだったのですが、神経を傷めたらしく、今も左の脇腹に痛み止めを塗り続けています。かかったときは、私の仕事が軌道に乗ったときでむちゃくちゃ忙しく、どうやって病気を乗り越えたのか実は覚えていません。
 夫はそもそも、10月11月は多忙で今年は特に忙しく、本当は内見も休むはずでした。ところが、たまたま前から言っていた物件が見られる、不動産屋がいい部屋を見つけるなどしてくれたため、ちょっと再開したら、いい物件に出合ってしまったのです。
 でも、今の部屋は追い出されかかっているわけじゃない。転勤するわけでもない。今度こそ、私たちは休みます。今回学んだことは、私は必ず仕事に生かします。転んでもタダでは起きぬ。いつか必ず、ここぞという部屋を見つけて引っ越します。マンション取り壊しまで8年10カ月。がんばります!

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