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物語食卓の風景・対面④

 真友子は、美帆の言葉で、いつの間にか自分が家事のほとんどをやるようになった不満を思い返していた。新婚の頃は、夫婦共働きだし、家事は分担してやろう、と2人で話していた。料理も平日は真友子で週末は航二と決めていたはずなのに、航二は日曜日にほとんどいないから作らないし、土曜日もなんだかんだと口実を作って作らない。平日に私が遅くなったときは作ってくれたっていいのに、「俺も今帰ったところだから」と言いつつ、新聞を読んでいたりテレビを見ていたりして、ソファーでくつろいでいるようにしか見えない。

 ほかの家事だって、自分のテニスウエアを日曜日の夜に洗濯するぐらいで、あんまりやらない。掃除も、結局私がやったほうが早いって、つい動いちゃうのがよくないのか、週末にちょっとやるぐらい。どうしてこんな風になっちゃったのか。

  真友子が考え込んでいると、美帆が話しかけてきた。

「どうされましたか? 思い当たる節があるのですか、やっぱり」

「ええ、まあ」

 言葉を濁していると、「やっぱり角谷さん、家事を家であんまりやらないんですね。以前から、住まいづくりの話をしていても、角谷さんは家事のやりやすさにあまり配慮していないな、と感じていました。それはうちの会社の設計士さんなど、ほかの住宅関係の仕事をしている人の話からもときどき感じるので、別に角谷さんだけじゃないんですけどね。ただ、キッチンの話だけは少しリアリティがあるようなときがあります」と美帆が言う。

「あの人、料理はもともと好きなんですよ。最近はぜんぜんつくらなくなりましたけど、食べるのも好きで、うれしそうに食べるから、それでついつい私も張り切っちゃうんですよね」

「料理か。結局そこに戻っちゃうんですよね……」と言い、美帆はしばらく黙り込んで、目の前にあったワインを飲み始めた。

「あ、ワイン追加します?」

「いえいえ、いいんです。いや、結局角谷さんは真友子さんのもとに戻っていくのは、その料理の力が大きいんじゃないかと思ったんです。胃袋をつかまれているというか」

「胃袋。でも、正直私たち、そんなに仲がいい夫婦というわけでもないんですよ。なんとなく惰性というか、会話できる人が家にいるからいいのかな、ぐらいで。いわゆる空気みたいな関係かもしれません。美帆さんの存在に嫉妬はしなくもないんですが、どこか真剣に心配しきれていない自分がいます」

「真友子さん、正直なんですね。というか、ライバルであるはずの私にそんなに心を開いちゃっていいんですか?」

「うーん。なんだかねえ。航二については、モヤモヤするものを抱えていて、家事の分担についてもそうだし、これでいいのかなあ、こんなものかなあと思いながら、ズルズルと夫婦関係を続けてしまったところがあって。美帆さんと向き合うことは、航二と私の関係に向き合うところもあるはずなんですが、嫉妬の気持ちも今一つというか、他人事みたいな感じ」

「他人事。真友子さんにとって、角谷さんはもうオトコって感じでもないのですか? あるいは人生のパートナー」

「うーん。なんとなくいて当たり前というか、一緒にいるものと思っていて。ラクなんですよ、居心地がいいというか。すごく好き、とか愛している、という感じでもなくて、それは実のところ、最初からそんな感じ。いなくなるかもしれないとか、ほかの人に取られるかもしれないとか、今まで考えたことがありませんでした」

「私の存在を知って、どう思いましたか?」

「うーん、何かドラマの出来事みたい、という感じがしました。現実を受け止め切れていないというか。もしかすると、私自身が今までいろいろなことにきちんと向き合わずにきたということかもしれません。今、話していて気づきましたけれど、私は美帆さんがどういう人で、航二とどういう関係か知りたい、という以前に、私自身の気持ちと航二との関係を考えたかったのかもしれません」

「でも、角谷さんのためにつくる料理は楽しいんでしょう?」

「まあねえ。それも当たり前というか習慣になっちゃっているところがあるんですが。美帆さんに言われるまで、私もあまり自分の料理について意識したことがなかったかもしれません」

「食の好みが合うって大事ですよ。おいしいと思うものが共通しているからこそ、角谷さんと真友子さんは、今まで夫婦をやってこられたのではないですか?」

「共通。そうですねえ。でも、同世代だし、ハンバーグやらギョウザやらを食べて育った人なんて、この世代なら普通のことなんじゃないですか?」

「あなたは、自分をどこまでも普通で平凡だと言いたがるけれど、そういう風に自分を決めつけるのは違うんじゃないですか? 普通に料理しているだけ、と言いますけど、そういわれると料理が苦手な私は普通じゃないと言われているようにも感じます」

「すみません……」

 なんだかヘンだ、と真友子は感じ始めていた。自分は夫の浮気相手と対面しているはずで、本当ならもっと相手を責める側にいてもおかしくないはず。しかし、美帆が航二とすでにセックスレスの関係性だとわかったあたりから、ドラマみたいに相手を責めて「別れてください」という展開にはなりえないし、むしろすでに相手は夫と別れたがっているとなると、振り上げたこぶしの落としどころもわからなくなる。そもそも自分は彼女に対してこぶしを振り上げていたのかどうかもわからない。責めたいのか、腹が立っているのか、自分の気持ちをつかもあぐねている間に、気が付けば、相手から自分の生き方を問われているようになっている。なぜ、私が彼女に謝っているのか、なぜ、私が料理できることになっているのか。私がこれまで深く考えずに当たり前と思っていたことを、一つ一つ問い直される。失礼な態度を取られているような気がするけれど、同時にこの人ともう少し話すことで、自分の生き方を考え直させてもらいたいとも思っている。

 真友子がそんな風に思うのは、もしかすると両親のことが頭の隅っこで気になり続けているからかもしれない。父はなぜ出奔したのか。母はなぜ、父がいなくても平気で暮らしているのか。その理由はわかるような気も、心のどこかでしている。あの母の、まるで自分自身とも家族とも向き合わない生き方。とにかく母が思う「当たり前」に家族を押し込めようとする力。結婚すれば子供を産むのが当たり前で、妻は家庭を第一にするべきで。私はその型にはまりきらないことで苦しんできたのかもしれない。



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