当事者意識とすれ違い

今日もコロナから始まる話をしよう。

コロナが騒がれている今、僕は首都圏にいない。
震災の後に北国の学校に行ったように、渦中からも火中からも外されたと感じる。

それは当然の様にしか感じられない幸運であり、不幸である。

悲しみにも喜びにも、僕の人生の針は大きくふれる出来事はない。

これは世界を変える様な出来事以外にも常日頃、僕が直面していることで、

他人がつらい目にあっても共感しきれない、
お祭り騒ぎでも病床に伏して思い出が共有出来ない、
悲しみの反動に何かを強く心に持つことも、
生きることの素晴らしさを実感することもない。

当事者意識を持てというが、
世界が俺を当事者から遠ざける。

ただ一つ、引っ越した時に大雪が降るという自分が信じてるジンクスと、
旅先で必ずギリギリ回避する悪天候だけが、
僕に近しさを感じさせてくれる。

近づこうとするとすれ違い、
逃げようとするとちょうど追いつかれない。

それはまるで市松模様の白と黒の様な関係に思える。

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