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140字で味わうソーントン・ワイルダー

こんにちは
既成戯曲の演出シリーズ制作の河合です。

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「Re -□□□□」https://twitter.com/re_4squareにて、
8月1日から31日の31日間
1日1ツィートで少しずつソーントン・ワイルダーのことを
ご紹介してきました。

その全てを、こちらのnoteでまとめました!

ソーントン・ワイルダーの世界を少しでも多く知っていただき、より深く深く観劇を味わってもらえるよう、お役に立てれば幸いです。

では、いきます。

ソーントン・ワイルダー(Thornton Niven Wilder, 1897年4月17日 - 1975年12月7日)は、アメリカ合衆国の劇作家、小説家。アメリカ演劇史における代表的劇作家の1人とみなされている。(Wikipedhia)

ウィスコンシン州マディソンに生まれる。父親は新聞の編集者で、領事として香港、上海に赴任したため、1911年から12年まで、中国でイギリス系とドイツ系のミッションスクールに通った。(Wikipedhia/ソーントン・ワイルダー)

アメリカのイェール大学に進学し、さらに考古学の勉強のためローマのアメリカン・アカデミーに留学した。学業を終えてからは、ニュージャージー州のローレンスヒルでフランス語の教師になっている。(Wikipedhia/ソーントン・ワイルダー)

小説『サン・ルイ・レイの橋』(The Bridge of San Luis Rey, 1928年)でピューリッツァー賞を受賞した。同年、1幕劇集の『平静を乱した天使』(The Angel That Troubled the Waters and Other Plays)を出版する。(Wikipedhia/ソーントン・ワイルダー)

戯曲『わが町』(1938年)で2度目の、『危機一髪』(1943年)で3度のピューリッツァー賞を受賞する。1957年にはドイツ書籍協会平和賞を受賞した。
1955年、ハーバード大学教授となる。(Wikipedhia/ソーントン・ワイルダー)

『わが町』(1938年)
進行役として登場する舞台監督が、「グローバーズ・コーナーズでは何も特別なことは起こりません」というとおり、登場人物の死や結婚以外劇的なことは起こらないが、その「日常」の貴重さを観客に感じさせる内容となっている。(Wikipedhia/わが町)

『サン・ルイ・レイの橋』(1928年)
実話をもとにした小説。険しい峡谷を渡る吊り橋が切れ落ち、渡っていた5人の人々が命を落とした。その場に居合わせた修道士のジュニパーは5人の人生を克明に調べて書物にまとめた。その行為が神への冒涜であるとして、異端審問にかけられる。

『危機一髪』(1942年)
氷河、洪水、地震、戦争の破局を日常生活で乗り切ってきた人類一家。人間存在の不安・希望をコミカルに描く寓話劇。五千年の日々を生きてきたアントロバス夫婦、そして子供たちも微かな火の温もりにすがっている。恐竜、マンモスはもはやこれまで…押し寄せる悲劇の気配。

『長い長いクリスマスディナー』(1931年)
アメリカのある町に、古い古い家が建っていた。かつてこの家の中心であったベヤード家の一生が、静かに始まる。生死を繰り返し、時を積み重ね、家は何を見て来たのか。90年間という家の一生を、60分間に凝縮した、短くて長いお話。

『ヨンカーズの商人』(The Merchant of Yonkers, 1938年)
この作品を改訂したものとして『結婚仲介人』(1954年)がある。

『結婚仲介人』(The Matchmaker, 1954年)
モリエールの『守銭奴』(1668)から発想を得て書かれたオクスンフォードの『素晴らしい一日』(1935)をもとにしたネストロイの『楽しき哉憂さ晴らし』(1942)をもとにして、そこへモリエールの『守銭奴』をもう少し足した『ヨンカーズの商人』の改訂版である。

『テオフィリス・ノース』(Theophilus North, 1973年)
 日本語訳は『ミスター・ノース』
1926年夏、大富豪の別荘地ニューポート。ふらりと現われた青年は、そこに「九つの街」を見る。青年はここで"奇跡"を行なう。1988年に映画化されている。

アメリカで一番上演回数の多い戯曲は、アマチュアも含めれば、『わが町』だと言われています。1938年の初演以来、各国語に翻訳され、一時は地球上で『わが町』が上演されてない夜はない、と言われたほどです。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

ソーントン・ワイルダーのお芝居の多くは舞台上に装置がありません。何の変哲もない椅子やテーブルは使いますが、背景を示す装置はまず使いません。『わが町』も「幕なし。舞台装置も一切ない」が冒頭のト書きです。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

今でこそ舞台上に何もなくても観客は驚きませんが、1938年の初演当時は違いました。その時の舞台写真を見ると、その「何もなさ」は現在の感覚からしても、過激だと感じるほど徹底してます。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

『わが町』のボストンでの試演のさなか、幕の途中なのに、マサチューセッツ州知事夫人が突然立ち上がり、舞台に背を向け通路をツカツカと進んで、そのまま劇場から出て行き、何人かがそれに続いたという「事件」が起こりました。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

「わたしは劇場の壁を見に来たわけじゃない」と不平をもらす人もいたようです。またブロードウェイでの初日でも、席についたある観客は、幕が上がったままの何もないガラーンとした舞台を見て、思わず隣の客に日にちを確認したというエピソードもあります。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

初演のときのプロデューサー、演出家だったジェド・ハリスは、舞台係を雇わないと組合から抗議が来そうだったので、4人雇っていました、うち2人は特にやることがないにもかかわらず。さらに劇場付きの舞台係も4人いて、彼らもやることがない。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

初日の開幕の数時間前に舞台係の組合から「オタクの今日の芝居、俳優が道具を動かしてるらしいね?あと二人雇いなさいよ。でないと、劇場の明かりをつけさせませんよ。真っ暗な劇場に客を入れるのは消防法違反ですから」と、脅迫めいた電話がかかってきた。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

1 演劇は多くの共同作業に基づく芸術である。
2 演劇は群集心理に語りかける。
3 演劇は虚偽に基づき、その本質ゆえにさらなる虚偽の増殖を呼び起こす。
4 演劇のアクション(筋・出来事)は永遠の現在において展開する。
(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

かつて日本の劇団の養成所で『わが町』と並んで好んで取り上げられていた戯曲にソーントン・ワイルダーの「長いクリスマス・ディナー」という一幕劇がありました。(中略)あとは何も具体的な装置のないお芝居です。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

アメリカの独立当時から続く古い一族、ベヤード家の90年に渡るクリスマスの晩餐の様子が約30分に圧縮されていますが、その時間は途切れることなく滑らかに、そして残酷なほど早く流れていきます。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

舞台両端の戸口は「誕生」と「死」を表していて、90年の間にこの一家に何人もの子どもがその戸口から生まれ、また何人もの人物が死んで、「死」の戸口から退場します。自分の出番が終われば、舞台から消えてしまう。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

ワイルダーは好んで舞台に「死」を持ち込んでいましたが、それはなぜなのか。その答は『わが町』の第三幕の後半部分に集約されているので、みなさん、舞台で自分自身の《感覚》で体感してください。「想起」と言った方がワイルダー好みかもしれません(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

ワイルダーのお芝居はその完成形が舞台の上じゃなく、舞台と想像力豊かな観客の中間にあるのではないかと、わたしは常々思ってます。(中略)それは観客の中に「想起」を起こすための要因なんじゃないでしょうか。これはもう体感するしかないと思います(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

ワイルダーが「死」を舞台に導き入れるとき、個別の死の過程が具体的に語られることはなく、逆にあっさりと、淡々と人は死んでいきます。あらゆる「生」を一瞬にして無に帰する死は、それ故に、個別の領域から普遍の領域へと観客を巻き込み、生の本質を鋭く浮かび上がらせます。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

ワイルダーは星の瞬く夜の時間に哲学者の名前をつけて登場人物にし、哲学書や聖書の言葉を語らせたり、惑星にコーラスをさせたり、かなり非・科学的なことを好んでしています。(中略)ワイルダーは少し超自然的、神秘的な考えを若い頃から持ち続けていたようです。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

一見無価値に見える現実世界の些事、笑いと悲惨が渦巻く眼前の風景の向こうには、その一つ一つに意味を与える大きな体系が広がっているのだと、(中略)そしてその体系とこの世をつなぐ方法こそ、彼にとっての演劇だったのではないでしょうか。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

『寝台特急“君のいるところ号”』c中野成樹+フランケンズ 撮影=鈴木 竜一朗
ワイルダーの『寝台特急ハイアワサ号』を演出家・中野茂樹が大胆に誤意訳した舞台。「君のいるところ号」というタイトルのつけ方にワイルダーへの愛着が感じられます。(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

『特急寝台列車ハヤワサ号』の原題は『Pullman Car Hiawatha』で”Pullman”は19世紀〜20世紀半ばまで実在した企業で、長距離列車のブランドでした。現在でも「プルマン式寝台」という言葉に残っています。”Hiawatha”はイロコイ連邦の英雄で、人名です。英雄にあやかって列車に名付けられました。

『わが町』も含めて、何もない舞台を使う場合に、ワイルダーは好んで「死」を戯曲の中に入れています。(中略)何もない舞台に、死を持ち込むことで、ワイルダーは何をしようとしていたんでしょうか?(水曜ワイルダー約1000字劇場/水谷八也)

(文責:河合厚志)

引用元:
Wikipedhia/ソーントン・ワイルダー

新国立劇場/水曜ワイルダー約1000字劇場(水谷八也)

佛教大學研究紀要 65号
ソーントン・ワイルダーにおける劇の技法 
『わが町』と『危機一髪』をめぐって(加藤芳慶)


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