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難民認定が少ないのはなぜ? 助けを求める外国籍の人たちを支える難民シェルターの現場

日本に生まれ育っていると、「難民」はどこか遠いもののように感じるかもしれません。
今日、「難民」とは、政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために、国境を越えて他国に庇護を求めた人々を指すようになっています。国連難民高等弁務官事務所UNHCRの発表によると、2020年末の世界の難民の数は8,240万人。新型コロナウイルスの世界的なパンデミックのなかでも、過去最高を更新しています。そのなかには、日本に活路を見いだして命からがら来日した人たちもいます。
にもかかわらず、日本政府から難民と認められず、彼らが身動きの取れない状況に置かれていることをご存じでしょうか。
今回、そうした日本に逃れてきた難民の人たちを支援する、NPO法人アルペなんみんセンター事務局長の有川憲治さんに、日本の難民をめぐる状況と支援活動の現場の声をお聞きしました。


世界的に増えている難民。日本では2000年ごろから

アルペなんみんセンター

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広々とした青空と緑が生い茂る山を背景に立つ、白を基調にしたアルペなんみんセンターの施設。広大な庭はよく手入れがされていて、とても心地よさそうな印象


――日本での難民をめぐる状況を教えてください。

日本国内の難民受け入れの始まりは、1975年のインドシナ3国(ベトナム、ラオス、カンボジア)の政変による、インドシナ難民です。
当時は日本でも、アジア福祉教育財団、日本赤十字社、立正佼成会、カトリック教会などが、政府と協力して宿泊施設の提供や全国で定住支援を行いました。

2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件以来、さまざまな国で情勢が不安定になったあたりから、世界的に難民が増え始めました。
2001年10月には、日本在住の難民申請中のアフガニスタン人が一斉に出入国在留管理庁(以下、入管)の施設に収容される事件が起きました。帰れない事態にもかかわらず収容されて強制帰国を迫られている人たちのため、アフガニスタン弁護団が発足され、支援の輪が広がったのです。これを機に、現在行われているような入管施設への面会支援、仮放免(請求または職権によって、収容されている外国籍の人の収容を一時的に解く制度)の支援が始まりました。

世界で年間の新たな庇護申請は、約200万件あります。しかし2016年以降、日本に来日して難民申請をする人は年間1万件ぐらいですので、他国と比べるととても少ないです
難民申請が通りづらいというのが、伝わっているからかもしれません。

――それでもなお日本を選んで来る方は、どういった理由で来られるのでしょう?

「たまたま日本だった」という方が多い印象です。
逃げるタイミングで、ブローカーや支援者がビザや飛行機のチケットを手配しやすかったのが日本だった、ということのようです。
そのほか、経済的な豊かさ、平和なイメージや「元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんの国だから助けてくれるだろう」と期待していた方もいましたね。

――実際に来日して初めて、難民認定率はわずか0.4%という事実を知るのはつらいですね。

そうですね。空港で難民として助けを訴えても、入国を拒否される場合が多く、それでも助けを求めると入管施設に収容されてしまいます。ですので、多くは観光ビザで入国して、難民申請をするという手段を取っているそうです。


アルペなんみんセンターに身を寄せる人たち

入居中の難民とスタッフ

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礼拝堂の祭壇をバックに、白い鳩をかたどったアルペなんみんセンターのシンボルマークがプリントされた、色とりどりのTシャツを着ている入居中の難民の方々とスタッフの方々。ピースサインをしながら、みな笑顔で肩を組んでいる


――アルペなんみんセンターはそうしたなかで2020年4月に立ち上げたとのことですが、立ち上げの経緯を教えてください。

私は、東京のカトリック教会で25年間移民・難民の支援に関わっていました。しかしながら、「今日泊まる所がない」といった住居の相談をなかなか解決できずにいたのです。
そんななか、鎌倉のイエズス会の修道院が閉鎖になると聞き、難民のためのシェルターに貸していただけないかと相談したところ、快諾していただきました。そして、運営するためのNPO団体を立ち上げた次第です。

施設内に個室が全30室あります。2020年4月から28名を受け入れ、現在、コンゴ、ウガンダ、ミャンマー、ナイジェリア、スリランカ、インドネシア出身などの13名がいます。

――現在入所されている方は、どういった状況なのでしょう?

皆さん仮放免の方たちで、難民認定申請中で、結果を待っています。
入管から直接仮放免された方や経済的に困窮し住居を失くされた方、なかには日本滞在歴30年で難民認定申請が通るのをずっと待っていらっしゃる方もいます。

仮放免中は、就労ができず、健康保険にも入れません都道府県をまたぐ移動は入管の事前許可が必要です
私どものところに来るのは、働いて自立することもできず、日本政府からの支援もなく、友人知人を頼って生活をつないでいたものの、諸事情で行くあてがなくなった方々なのです。

昨年、入管法の改正案が提出されましたが、もしそれが可決されていれば、改定内容の一つ「難民申請3回目以上の人は刑事罰を科して強制送還」の対象となる方もいます。

――創設からこれまで28名の方を受け入れているとのことですが、申請が通るまでにどれくらいの歳月がかかるものなのでしょうか。

それぞれの状況にもよるのですが、審査結果が出るまで2〜3年といわれています。
しかし、支援している方のなかには、2回目、3回目の申請がすぐに却下される方もいれば、2回目の申請を行ったものの5年経過してもまだ結果が出ない方もいます。難民性の高い方ほど、難民申請の結果が出るのが遅い印象です。

うれしいことに、昨年、3名の難民認定の許可が下りました。また、1名が定住可能な在留資格への変更を許可されています。


鎌倉の地域とともにあるセンターの暮らし

地域の子どもたちの難民と農作業

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よく耕された畑のうねの前で、一列になって笑顔で写る、地域の子どもたちと難民の方々。アルペなんみんセンターの一角で、農作業を一緒に行っているそう

――設立からまだ2年ほどですが、さまざまなメディアで地域の方々に溶け込んでいる様子がうかがえます。何かいきさつがあったのでしょうか。

鎌倉という場所は外国籍の人が少ない土地柄のため、当初、地域社会に受け入れられるか不安でしたが、難民問題に理解を示して応援してくださる方が多いです。実際に、ボランティアとして協力を申し出ていただく方も多くいました。
鎌倉市議会は、国に「難民政策の見直しに関する意見書」を提出してくださいました。
そのほか、すでに長年鎌倉で活動をしている鎌倉社会福祉協議会鎌倉ユネスコ協会SDGs活動支援センターアムネスティ鎌倉グループなどの団体と協力して一緒にいろいろな取組みをさせていただいています。

また、この広大な敷地をぜひ地域の方々にも一緒に使ってもらいたいと考えており、昨年3月からは、地元の子どもたちと難民と一緒に畑作業をして交流しています。
最初こそ、難民にとっては初めての日本の子ども、子どもたちにとっては初めての難民で、お互いに距離がありましたが、今では子どもたちの保護者も含めて名前で呼び合いながら農作業をしていますよ。

介護職に興味のある難民が、地域のデイサービスへボランティアに行かせてもらってもいます。
利用者さんにはさまざまな変化が生まれたと、デイサービスのスタッフからは感謝の言葉をいただいています。難民にとっても地域での居場所と生きがいができたようです。参加者の一人は、今、介護職員初任者研修の勉強をしています。

「難民」とひとくくりにすると存在がぼやけてしまいますが、地域の方々と直接出会うことによって一個人として認識され、問題をより身近に感じてもらえて、難民にも地域のなかに居場所ができるのではと考えています。
そうした取組みが、鎌倉での難民の認知をさらに広げているようにも思います。


国際社会に足並みをそろえて難民を受け入れやすい環境を

地域の方々とお茶会

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和室で地域の方々と茶道のお茶会を体験する難民の方々。女性の難民の方々は着物や浴衣を着て正座で、男性陣は座椅子に腰掛けながら、抹茶を振る舞われている


――今後難民をめぐる問題のどのような分野に注力していきたいと思っていらっしゃいますか?

日本の難民認定基準の国際化ですね。
UNHCRでは、難民を「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた人々」と定義づけています。
ですが、難民の認定基準は一本化されているわけではなく、条約加入国に委ねられています。日本の基準は公開されていませんが、諸外国に比べて難民に対する捉え方がとても狭かったり、難民であることの証拠を自分で用意しないといけなかったりと、ほかの加入国との開きが大きいと感じます。
難民認定基準を国際的な水準にすること2~3年かかっている申請手続きの迅速化手続き中の生活サポートの検討を日本政府にお願いしたいです。

国際的な分野では、第三国定住です。
アフガンなどの難民キャンプにいる人たちの受け入れ体制をつくりたいです。
日本は、2011年の国会で「難民を受け入れて各国に模範を示すんだ」という宣言をしていますので、積極的に受け入れをしてほしいですね。

――アルペなんみんセンターとして取り組みたい課題はあるのでしょうか。

鎌倉でも今、空き家が問題になっているので、それらを利用し、学生や住居を必要とする人たちと難民が一緒に住めるシェアハウスを運営できたら、と考えています。
そのシェアハウスを拠点にして、近隣の課題や高齢者の方たちの困り事に寄り添える場所づくりができたらなとも思っています。すでに1軒、動きだしているんですよ。

あとは、日本での滞在が20年を超える人たちが、新たな生活をスタートできるように、第三国へ行けるようなスキームをつくりたいですね。

もう一つは、国際社会で難民に関わる日本人の育成です。そのために、難民キャンプや諸外国の難民支援団体でのボランティア派遣に取り組んでいきたいと思っています。


身近にいる人をサポートできる心の余裕が生まれる社会に

鎌倉市の地域通貨を活用して地域交流に貢献したとして鎌倉市長から表彰状をいただきました。

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鎌倉市の地域通貨を活用して地域交流に貢献したとして、鎌倉市長から表彰状を授与されたときの様子。鎌倉市長を囲んで、アルペなんみんセンターのスタッフと、表彰状を手にした難民の方がにこやかに並んでいる

――一般の方が、難民問題についてできることはどんなことがありますか?

難しい問いですが、第一は、難民に関心を寄せてほしいです。

最近読んだ本で、イギリスの団体が行った世界的な世論調査で「思いやり指数」というものを知りました。「1ヶ月以内に見知らぬ誰かを手助けをしたか」「1ヶ月以内に寄付をしたか」「1ヶ月以内にボランティアをしたか」の3つの質問から算出されるんですが、日本は125ヶ国中最下位だったんです。

今の日本は、自分のことで精いっぱいであったり、人と関わることを煩わしく感じたりする人も多いですよね。
難民の受け入れが進まない背景には、そもそも困っている人を受け入れる余裕がないということも関係しているように感じます。
そうした身近な困っている人たちを助けられるような心の余裕を持てる社会になっていけば、おのずと困っている難民の人たちに心を開くようにもなっていくと思います。
まずは、身近な困っている人を助ける行動を一つでも始めてほしいですね。
それが日本社会だけでなく、私たちの幸せにもつながると思っています。


おわりに

お話を伺うなかで、日本に逃れてきた難民申請者の境遇の厳しさとともに、有川さんはじめ、鎌倉で難民を支える方々の輪の強さや志の高さも感じることができました。
ただ、有川さんは、こうした地域との連携は「鎌倉だからできた」にはしたくないとも語っています。アルペなんみんセンターの事例が共有されれば、多様性を認め合い助け合う地域が日本中に広がり、住みよい街が増えるのでは――そんな期待が持てるお話でした。
まずは自分以外の誰かの困り事に、目を向けてみませんか?


プロフィール

有川憲治さん

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アルペなんみんセンターの入り口前に立つ、代表の有川さん

有川 憲治(ありかわ・けんじ)
1962年生まれ、奄美大島出身。南山大学法学部卒。学生時代にベトナム難民の定住支援に関わったことをきっかけに、難民問題やアジア圏の情勢に関心を持つ。アジア学院(栃木県)に1年間ボランティアしたのち、一般社団法人JLMMからフィリピン・ミンダナオ島に派遣され、農村開発に4年間携わる。帰国後、カトリック東京国際センターにて難民・移住者支援に25年間従事し、2020年2月NPO法人アルペなんみんセンターを設立。団体の事務局長に加えNPO法人 移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)理事も務め、困難を抱える外国籍の人の支援に尽力する。


▼アルペなんみんセンター


▼アルペなんみんセンター YouTubeチャンネル「アルペチャンネル」

▼アルぺ難民センターの紹介記事

・鎌倉にたたずむ難民シェルター 閉じた心、取り戻すため(朝日新聞2021/7/28)
https://www.asahi.com/articles/ASP7W74KSP7DULOB008.html

・「名前よびあえる関係になって自分事と考えて」鎌倉の支援シェルターが日本の難民政策に一石(東京新聞2021/9/18)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/131746

・難民シェルター ひとときでも安息を(毎日新聞2022/1/8)
https://mainichi.jp/articles/20220108/dde/012/040/003000c

・クルッポアワード
なんみんセンターなどが受賞(タウンニュース 2022/1/28)
https://www.townnews.co.jp/0602/2022/01/28/610887.html


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