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ねえ君に私の内臓あげるから、私に代わって死にかけてくれ

突然ですが、かねてより「結婚や妊娠出産したいと思えたことがねえ」といった旨をひたすら手を替え品を替え定期的に主張している私、
昨日からこの投稿への反応に共感が止まらなくて、首がもげそうなほどに頷き、指が腱鞘炎を起こしそうなほどにいいねをしまくっています。


例えばね、これなんですよ。とてもわかる。


私も思春期からずっと、周りみたいに結婚や子どもに憧れが持てない自分に悩んで、それでもどうしても心から望めない周りと同じになれないと確信して、
付き合った人がいても「結婚式も子どもも望まない私を、妻に望む男性も嫁に望むご家庭も限りなくいないだろう、結婚を断られても仕方ない」と思って生きてきた。夫に対しても、結婚前に年単位で意思表示はしてきた。

そんな私にそれでも結婚を望み続けた夫という人がいて、
そのご家族が「うちの息子はちょっと変わってるから、普通に結婚育児出産に熱意がある女性は受け入れてくれない気がしてたのでむしろ納得した」「自分の考えがしっかりあって自立してるんだね」と
お世辞でも言ってくれるご家庭だったから、私はようやく結婚を決意したんですよ。


他にもいろんな引用、リプライを追いまくって読みまくっていいねしまくってたけど、私は特にこのツリーの方がいちばん考えが近かった。


この、タイムリミット(というよりはデッドライン)(「産むのは早いに越したことはない、できれば20代で産んでおくのが体力的にベスト」とかは飽きるほど見聞きしてるけどもう間に合わないし、ガチの生物学的なデッドラインでもなくて、自分の体力経済力老後を考えて育てられそうな自分なりの最終ライン)
を自分なりに考えて設定して、「それまでに気が変わるかも」って可能性も残してるのも、

「周りを見て羨ましくならないか?」を観察してるのもめちゃくちゃ分かる。

タイムリミット、いやデッドラインを越えたらもう子どもを持たない人生を選ぶ気持ちを固めようというのもとても分かる。私も数年後に向けて、同じ覚悟を固めようとしている。


私も自分を観察してみて、SNSに友達の出産報告が流れてきても「自分も子どもが欲しいな〜産みたいな〜」という羨ましさは、今のところ一切感じたことがない。

強いて言えば「ああ、この人は産む選択ができたんだな」「産まない選択をした・せざるを得なかった人生から解放されたんだな」という点でだけは、羨ましいと思ったことある。

でもそれは、結婚したいと思えないまま友達の結婚式に参加してた時の感覚と同じなんだよな。
結婚も結婚式も羨ましくなかったけど、「ああ、この人は結婚したいって思えたんだ」「結婚しない・しなかった人生から解放されたんだ」ってことだけが羨ましかった。


私だって今も「もしかしたらまだ気が変わるかもしれない」って思ってるし、「子どもが欲しい、産みたいって思えたらいいのにな」「本当に産めないギリギリになってきたら欲しいという気になるのかもな」って思ってるよ。
だからこそ、ほんとは今もまだまだ子ども欲しくないけど、産まれたらどうなるだろうってシミュレーションだけはめちゃくちゃしてる。
(もちろん子どもを持てるのは当たり前じゃないから、産めない・授かれないシミュレーションも同じくらいしてる)



ここからは、私の個人的なシミュレーションです。
求められてなくても一方的に語るけど、「たくさん考えてその答えに辿り着いてる」のプロセスを少しでも可視化しておきたい。

「あれこれ求めすぎ、考えすぎ」ときっと言われるから断っておくけど、
これだけ先走ってシミュレーションして相手に変化を求めてるのは、私が「産みたくないけど、産んでほしいというなら納得させてほしい」人間だからなのがめちゃくちゃ大きいです。子どもを望む人すべてがここまで望んでるわけじゃないと思う。

でも、本当はこれくらいたくさん考えてからようやく選択すべきことなんじゃないかな、とも思います。


まず私の夫は、前提として家事はできます。
特に私の苦手な炊事は一手に担ってくれてめちゃくちゃ助かっているし、ゴミは自分でまとめて縛って出してくれるし、その他諸々の家事能力に心配はないです。

ただ、外の世界と繋がっていないと弱って死にかけます。
典型的な「外の世界と繋がることで心身ともに元気になるタイプ」で、1日どころか半日でも外に出られないと病人のように弱り出す。
風邪をひいて寝込んでる時も、体が弱ってることよりも外に出られないせいで寝込んでるんじゃないかってくらいに、外に行けないと弱る。


そんな夫はたぶん、育休を取得できたとしても
「子どもから一瞬たりとも目が離せないので、外に出られない」生活に耐えられないと思うんだよ。専業主婦・夫に向いてない。

生後すぐの子どもは、免疫もないし首も座ってないし常に排泄し泣いて寝るから目を離すどころかとても外になんて連れていけないじゃん。だから親がつきっきりになるしかないじゃん。
(私が実際に観測してなくて把握しきれてないだけで、外に出られない理由って他にももっとあるかも、あるいは意外と出られるのかも)
(これは私の観測や調べが足りなかったらぜひ教えてほしい、とりあえず『首が座るくらいまでは親と子どもは家の中に閉じこめられ状態になりがちでそれがストレスになりがち、理由はこのあたり』だと認識してる)


でも夫、たぶんそれに耐えられない。
「耐えられなくて病んでしまう」と言ってひとり気分転換に出かけるか、
「お出かけは無理でも、車という密室でのドライブならいいのでは」とか言って生後間もない子どもを外に連れ出すのはありそう。
(これなら実際アリなのかな、夜中する乳児を連れて行けるところがないから泣きながら深夜ドライブをした人の話とかはよく聞くような。どうなんだろう)


あとは筋トレというか運動大好きマンなので「自分がこれまで積み重ねてきたトレーニングの成果を失いたくない」って、ジムとかに出かけるのも辞められなさそうだなと思ってる。
「育休中で職場という居場所も失って、トレーニングもできなかったら、俺の居場所はどこにもないじゃん」とか言わない?

育休中で職場という居場所を失うのも、美容やスキンケアも全部できなくなって中断して、これまで積み重ねで維持してきた体がボロボロになるという点はこちらも同じなんですけどね。
たぶん私はインドア派だから、その分苦痛はマシでしょ、スキンケアだの化粧だのはできるでしょって言われるな。
(大怪我した後や一気に何歳も歳を取ったような状態になるとも言われるし、体力も時間もなく土台も変わっちゃってとてもこれまで通りにはできないよね?産前産後に鏡を見て気分が上がるどころか、絶望した方いっぱいいるよね?)


何より今のところ懸念してるのは、夫がなんでも床に置くこと。収納という概念がほぼないこと。
何度「かえって物の場所が分からなくなるし、処分しちゃったり壊したりするリスクがあるから、物は決まった場所にしまって」って言っても、物を収納するという習性が身につかない。
物をどこかにしまって、視界から消えちゃうと場所を忘れるんだよね。夫の持ち物でも、なぜか私の方がほとんどのものの場所を把握してる。

しかし子どもはなんでも口に入れちゃう生き物だから、
この人が床に物を置いたまま・収納できないままなことで起きる誤飲、きっとあるだろうなと思ってる。



食べ物の衛生管理というか、賞味期限の概念が雑なのも心配してる。

私だって賞味期限が切れたら即捨てるレベルじゃないよ。スーパーの割引お惣菜はその日のうちに消費期限切れちゃうけど、見た目や匂いが問題なければ2〜3日くらい過ぎてても食べるよ。

でも夫、開封済みのペットボトルを数日かけて飲んだりするし(自分の唾液がつくから、雑菌めちゃくちゃ繁殖するよね)
加工食品なら「火が通ってるから、塩分濃度が高いから、冷凍されてるから大丈夫」とか言って週や月単位で賞味期限が切れてても捨てないことが多い。(冷凍しても徐々に鮮度は下がるし、通常は1ヶ月以内の消費が目安なはずですが、夫は冷凍したら賞味期限がほぼ永遠だと思っている節があります、冷凍庫を信頼しすぎています)

調味料だとかお菓子なら、賞味期限が年単位で過ぎてても捨てない。


食べ物を大事にするのはいいことだし、それでも捨てなきゃいけない時にせめて「ごめんなさい」と言って捨てるところも人として素敵だと思うけど、
本当に食べ物を大事にするならそもそも美味しいうちに食べ切るべきだと思うんだよね(これは日頃から何度も言ってる)。

一番心配な、アレルギーの恐ろしさは理解してるから、その点でやらかすことはなさそうだけど。
それでもこの衛生観念の人が、子どもには食べさせちゃいけないものをもったいない精神で与えないか懸念してる。さすがにヤバそうなものは自分だけで食べてくれるかなあ。

でもやっぱり、この人が捨てられなかったものを子どもが口に入れちゃうリスクはあると思う。
(「あなたが捨てずにいる賞味期限が1年前のいただきもののお菓子、自分の娘がうっかり食べちゃう可能性があるとしても捨てないの?」って聞くと「捨てる!」って言う。でもまだ捨ててない)

ああそれから、飲食物関連だと家に缶ビールが多すぎる。野菜室で酒を冷やさないでほしい。
子どもが余裕でジュースと間違えて手に取れる場所にアルコールを大量に常備しないでほしい。というか野菜室にもっと野菜を入れさせてくれ。


って、子どもができてもないのに産まれてからのことばかり先走ってしまったけど。
つわりや陣痛分娩がどう大変か、最悪どんな症状やリスクがあるのか、そういうのも知らないし調べてない。(知っている知識は子持ちの先輩や同期伝いか、SNSで流れてきた話が大半だと思う)

妊娠悪阻での入院とか切迫流産とか羊水塞栓症とかが何ぞやとかも知らなかったよね。
羊水塞栓症で生死の境を彷徨って子宮を摘出された方の話を知って、なんでこんなことになるの?と私に聞いて初めて「羊水塞栓症とは何か、なぜ起こると考えられているか、どれくらいの死亡率か」を知ってたよね。
無痛分娩ができる施設がどれくらい限られてるかや、どれだけ今もこの国で無痛分娩に偏見があるか、同性同士ですら理解されなかったりマウントを取られたりするかも知らないよね。

全部「妊娠したら調べればいい」とか「一部の人だけでしょ」とか思ってない?
妊娠してから調べてたら「その時期に無痛ができる枠はもうありません」なんてよくあるのに。無痛分娩のつもりでもできなくて通常分娩や帝王切開に切り替えなんてよくあるのに。
自分の家族や友達は理解してくれると思ったらそうじゃなかったとか、まさか自分たちにこんなことが起きるなんてとか、そんな地獄なんて山ほどあるのに。


私はめちゃくちゃこういう「だから産みたくない」「やっぱり大変そう」って材料を集めてるんだよ。
友達に聞いた話やSNSで流れてきた話が多いけど、もちろんそれだけじゃ主観も入るから、医療事故の事例とか研究報告とかも見てる。

それを「でも考えてたら産めないじゃん」「最後は感情論でしか決断できないじゃん」って言うよね。

感情論の説得なんかいらないんだよ、そんなのは十数年以上自分の中で自問自答してるんだよ。十数年遅いんだよ、とっくに私の中で反証が終わった反論を今更持ち出してこないで。


私はせめて、最悪のケースも考えてほしいんだよ。どんなサポートが必要か把握してます、考えてますっていうことを見せてほしいんだよ。

「御社のためならなんでもやります」とかいう熱意の割に何をどこまでしてくれるか分からないフワッとした決意表明なんかじゃなくて、
「御社の経営リスクはここにあると考えてこんなプランを用意しました」って、私と同じくらい頭と手を動かしてくれたんだなって納得できるプレゼンが欲しいんだよ。
前者のセールストークに折れて契約したら上司に怒られるでしょ。後者じゃないと上司も納得させられないでしょ。


私が死んだり病気になって親の役割を果たせなくなっても、自分が全部やれる、自分はここまで考えてるって見せてほしいんだよ。乳幼児期にワンオペでも、もし残された子どもが女の子でもやれますって。
(男の子でも心配はもちろんあるけど、性犯罪リスクとかが段違いなので、女の子だったらどのくらい警戒すべきかを理解していて教えてあげられるのか本気で心配)

同年代の女性の体のこともあんまり分かってないけど、例えば残された女の子が思春期を迎えた時にどんな変化があって、何を気遣ってあげるべきか把握して、育て上げられると思わせてほしい。


もしくは、自分が先立っても何を残せるか。産みたくなかった私と、私に望まれてなくて愛されないかもしれない子どもが残された時のことをどう考えてるのか。

望んでなかった人生を与えられて、シングルマザー世帯という現代日本でも有数に貧困に陥りやすく生きづらい属性を与えられて生きていくことになる、そんな二人の人間が生まれることを自覚してるのか。

(数字として貧困率が高いのは知ってるけど、離婚などで主体的に選択してかえってめちゃくちゃハッピーに生きてる方も多いから、決してシングルマザーを不幸だとは思ってない!ただ私は子どもを望んでないので、もし夫に先立たれるなら「シングルマザー」じゃなくただの「シングル」に戻りたいという話です)


考えてないよね、そこまで。
でも私はいつも考えてるの。「産みたいと思えたらいいのにな」「でも思えないな」をいつも息をするように考えた上で、私にはできないと思ってるの。

それを「考えすぎだよ、みんなそこまで考えてないし考えちゃったら産めないよ」って言うよね。
でも少なくとも私はもう考えちゃってるんだからさ、それでも説得してみせてくんないかな。


私って反出生主義なのかなって、最近ようやく気がついた。
それでも、自分や生まれるかもしれない子どもの身体や命をどうしたら大事にできるか考えたら、考えるほどに「産まないのがいちばんじゃないか」って思えてくるんだよ。

散々リプライでも言われてるけど、本当に男女が逆だったら成り立ってる話なのにね。

私だって、自分の体調は何も変わらず、夫が自分のおなかで十月十日子どもを育んで産んでくれたら可愛がれるかもしれない。その無責任な「かも」に賭けてくれるならいい。
産める性が産み育てることを望んでなくて、産めない性が産み育てることを望むとこんなにも成り立たない。


ほんの数十年前だったら「産める性が産み育てることを望まない」ことすら許されなかったんだから、悩める時点で贅沢なのかもしれないけど。

だからって「先人が耐えてきたんだから自分も」とは決してならない。
そんな理由で仕方なく産み落とされて、愛されないかもしれない子どもの身になってみたらゾッとするじゃん。
(そんな子どもが、もしかしたら「結婚して子どもを産み育てるのは当たり前」だった時代にはいっぱいいたのかもしれないけど)


少し極端かもだけど、時々見かける「今の日本は子どもを大事にしすぎ」「何も考えず雑に、できたから産んでたくらいでよかった」「そんな風潮になれば少子化も少しはマシになる」って風説にはちょっと納得している。

私が子どもを産み育てたくない理由、もちろん自分の身体や命の心配もあるけど、私が産み育てたところで幸せにできる自信がさっぱりないからなのも大きいもん。
「どんな特性や障害があっても、責任を持って、生まれてよかったって思わせてあげるから」「自分が嫌だったことは絶対経験させず、やりたいことはできるだけやらせてあげたい」くらいの覚悟がないといけないと思ってる。

そこまでの覚悟じゃなくていいなら、少しは気が楽かもしれない。
「この世に生を受けただけでハッピー、この国はどんどん良くなるから幸せになれる」「だから弱者に育ってもコンプレックスまみれで生きてても、構わないし恨まれない」って、そんな保証があるなら考えられたかもしれない。

でもそうじゃないから、親子間の泥沼や毒親論争がなくならないわけですよね。


とりあえず最終的に「それでも最期に面倒見てくれるのは子どもしかいないじゃん」を持ち出してくるのはやめてください。

子どもは親の後始末のために生まれてないし生きてないです。私だってやるかどうか分かりません。
そもそも親より子が長生きする保証もないし、なんで自分が死ぬときに面倒見てもらえるほど子と良好な関係を築けると当然のように思えるんでしょうか。


それなら数千万かけて子を産み育てるより、同じ数千万を払って最期を看取ってもらえる施設とかに入ろうと思っています。私の貯蓄はそのためにしてます。

「施設は細かい希望要望なんて汲んでくれないし、お墓の世話までしてくれないよ」「寿命より先にお金が尽きたらどうするの」とかも全部、子どもがいても同じようにリスクはあるんだよな。

それこそ「それでも子を残すのが人間の本能」って言われても、
子を残すのが本能のはずなのにその本能を持ち合わせてないなら、私は種にとって必要じゃなくない?なおさら私の遺伝子は後世にいらなくない?


夫との暮らしは好きだし、結婚も悪くないなって思えたけど、
「ああ、この人に子どもを持たせてあげられなかったな」って罪悪感か、
「ああ、子どもを産まずにあの頃のまま過ごせてれば幸せだったかな」って後悔か。

どちらかを背負って生きていかなきゃいけないなら、やっぱり手放してあげた方がいいのかなって思ったりする。

何かを感じていただけたなら嬉しいです。おいしいコーヒーをいただきながら、また張り切って記事を書くなどしたいです。