SF映画3大マズそ飯

飽食の国、日本。わが国では毎年600万トン超もの、まだ食べられる食品が廃棄されているそうです。一人頭にすると1日にお茶碗一杯分の米を捨てている計算になります。健康志向、オーガニック、糖質制限、スーパーフード、大いに結構ですが、お金を払いさえすれば当たり前のように食べるものが手にはいる「幸せ」、最近忘れていませんか?

いわゆる「SFジャンルの映画」において、描かれることが多いのは、現在よりも「テクノロジーが発展した社会」です。必然的に時系列は、今より先の時代という設定が多くなります。そのような映画の中では、乗り物を始めとする機械製品や、建築構造物、衣類、情報技術などが現代のそれよりも「進化」した形で提示されるのに比べて、ことこれら映画に登場する「食品」に目を向けると、進化しているとは言えない、むしろ「劣化」しているようなものが多い気がします。

日頃新聞やTVのニュースなどに触れていると、人口の爆発的増加や自然破壊が、食品やその原料に及ぼすダメージは、未来においては、より深刻な状況になってるという論調が殆どで不安を掻き立てられますよね?

そんな「食」にとって暗い未来がもうすぐそこまで迫ってきているかもしれないというのにですね、現代を生きる我々が、うかうかとマリトッツォだのパンケーキ屋さんだのに並んでていいのでしょうか!?
否、我々が今、本当にすべきこととはですね、そのような劣化食品が出てくるSF映画を、もう一度、自省の念を持って見直し、我々こそが危機感を持たなければ、こういうもんを毎日食べなきゃいけない世の中が本当に来ちゃうぞ、やばいよね、自然を大事にしようねって、SDG'sってなんだろねって襟を正すことなのではないでしょうか。

というわけで、私が今まで観たSF映画、そこに登場した「マズそう」な食品の中で、代表的なものを3つ、ご紹介させて頂きたいと思います。明日を生きる皆様の、何らかの示唆となれば幸甚でございます。

『マトリックス(1999)』ネブカネザル号のまかないお粥

欧米の映画ファンをして「snot」(鼻汁)と形容するお粥、もしくはオートミール。脱脂粉乳のような色の水に、何かがまばらに浮いています。固形糊を水に溶いただけのようにも見えますね。とにかくマズそう。登場するタイミングも最悪でして、裏切り者サイファーがバーチャルの世界で美味しそうにステーキを食べるシーンの直後で、「マズそう」加減にさらに拍車をかけています。

あんなもん毎日三食食べるくらいなら、首の後ろにコード繋がれて、夢を見ながら機械に養分吸い取られて余生を送る方がはるかにマシかもしれません。

『STAR WARSフォースの覚醒(2015)』レイちゃんの夕御飯

スカベンジャー(廃棄物回収業)のきつい仕事の対価として、元締めアンカープラットから給金の代わりに配給されるレーション。レイが、寝ぐらにしているAT-ATの傍で、一人もそもそ食べていた色の悪いパンのような食品です。講談社刊「レイのサバイバル日記」によりますと、この食品は帝国軍の戦地非常食で、調理法は至って簡単、水を加えれば化学反応で加熱され膨張が始まり、膨らみ終わったら完成というものです。

食用にあたっての注意事項としては、水によって加熱されてしまうため、決して加熱処理前のこのレーションを、水を飲みながら食べないこと。唾液に反応して口や胃袋が大火傷する可能性があるそうです。いやいや危ねえだろ。味の方は判りませんが、宇宙船を飛ばす技術力があるのだから、この食品のドブみたいな色は、何とかなったんではないでしょうか。

『ブレードランナー(1982)』ふたつで十分ですよ丼

物語の序盤、主人公デッカード(ハリソン・フォード)の登場シーン。変な日本語を喋る屋台の親父とデッカードが注文について揉める場面。デッカードがメニューを見ながら

デッカード「四つくれ」

親父「二つで十分ですよ」

デッカード「いや、四つだ。2足す2でで四つ」

親父「二つで十分ですよ!」

デッカード「それと、うどんね」

親父「わかってくださいよ!」

その後注文が出てきて、デッカードが不満気に反応しますが、うどんを食べるシーンはあるものの、何が「四つ」欲しくて「二つ」しか出てこなかったのか判然としません。これはうどんと一緒に注文した「寿司」という名前の丼に、魚をいくつのせるかで揉めていたのですが、ブレードランナーの試写用(ワークプリント)まではあった丼の映像が、その後の版ではカットされてしまったため、前述のやりとりの意味がわからなくなってしまったのです。2007年に発売された製作25周年記念アルティメット・コレクターズ・エディションのDVDには、このワークプリント版が収録されており、それを見るとこの丼の正体がようやく明らかになるのですが、その姿は、どんぶりに盛られたご飯の上にレタスのような葉っぱ、そしてアジのような青魚の素焼きが2本乗ってるというもの。

おい「寿司」なめてんのか。二つどころか一つもいらんわい。この妙な魚を四つも乗せようとしてたかと思うと、親父は量が多すぎるからとかではなく、親切心から「二つで十分だ」と言っていたのかもと思わされます。老いてなお制作活動盛んなリドリー・スコット御大もコロナが明けたらワールドプレミアなどでいつか来日するかもしれません。どうかアテンドする関係者の皆様、巨匠をまともなお寿司屋さんに連れてって、我らが誇る大事な食文化「寿司」への氏の誤解を解消していただくよう、切に願うものであります。

いかがでしたでしょうか。どれもこれも、食卓に登場したらテーブルひっくり返したくなるメニューばかり。こんな食品が未来に待ち構えているとしたら、うっかり長生きするのも考えものですよね。こんな未来を現実にしないために、我々の子孫が変な魚丼食わなくてもいいように、今、我々ができることは何か、真摯に考えていくべきではないでしょうか。

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