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ローレン 1月31日〜365日の香水

ファンコミュニティ
知らなかったけれどラルフローレンにはハルキストのような熱烈な愛用者コミュニティがあるそうだ。
着こなしやレアアイテムなどで勝者を決めるセレモニーも定番のようだ。
アメリカントラッドのこの名門の設立者はブルックスブラザーズのセールス職のあと、老舗メーカーでネクタイをデザインすることからキャリアをスタートした。
80年代にグローバルマーケットで覇者となった各国のデザイナーの中で、ラルフローレンのブランドは今なお揺るぎない。
革新や新基軸をうたわないトラッドの強みもあるだろうし、ビジネスセンスにも恵まれたのかもしれない。
話題よりも顧客の創出と定着が優先され、ファンの口に登るのはせいぜい、表参道のホワイトハウスといったところなのが、そのことを象徴してるように思う。

ポロ
さて、ポロ競技は古代の軍事訓練が発祥でペルシアから中国、日本、南アジアニモ広く伝わったらしい。19世紀に植民地インドでこれを発見した英国人が自国に持ち帰りルール制定したのが現在のポロ競技。ヨーロッパの由来と思い込んでいたが源流はオリエントの騎馬訓練だったわけだ。
大砲のような火薬の武器が発明されるまでユーラシア大陸の覇者は常に騎馬隊の強者だった。
戦には、時代やところにより作法のようなものがあったのだろう。あるいは戦術とも。ハンニバル戦記を読んでいると、裏をかく戦略と、道義にもとる戦法は少し違うようだ。そこが作法が介在すると感じた点だ。
停戦を欺いて攻めるのは道義に反するけど、意表ついて半日早く陣形を取るのは戦術。
感覚的にわかる気がする。
横道に逸れたけれど、戦の作法は競技のルールに変わりルールは守られるという大原則のもと、紳士の競技としてポロは定着していく。

ポロ ラルフローレン
アメリカンのラルフローレンが自身のブランドにこの「ポロ」の名を冠したのが1968年。1970年にはコティ賞を獲得している。(フランソワコティの後継者がアメリカの資本家に事業譲渡したコティ社が支援していた服飾業界の賞)
時代背景は、アメリカではベトナム反戦が高まり、そこから自然回帰、ヒッピー文化、ビートルズの世界的な熱狂とファッションも若者文化も潮流を一気に変えた時期だった。女性のノーブラ、ジーンズ、男性の長髪、ドラッグ、フリーセックスなどは、ポロ競技を嗜む紳士淑女の世界を瞬く間に旧世代に追いやっていたはず。
このブランドがそんな最中のデヴューだったことを思うと「定番」の強みに感じ入る。

laurent/1978
90年代のリーリースと思っていたら意外と古く1978年。調香師の名に聞き覚えがあると思ったがなんとあのカボシャールでデヴューし以後もシナバーやアラミス、アリアージュなど名香を生み出したベルナールシャンだった。
先にラルフローレンがデビューした時代の背景を書いたけれど、この中に「世界的な大戦があるとグリーンノートが流行する」という20世紀のセオリーが潜んでいる。ローレンもフローラルグリーンだ。
定番、マナー、若々しい風。
香り、思い、呼吸。

1月31日がお誕生日のかた、記念日の方おめでとうございます。

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