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グッチの1番 3月6日~365日の香水

華麗なる一族
映画にもなったグッチ一族のドラマ。
詳細は省くけれど創業者のグッチオグッチが1953年に亡くなり、70年代後半から80年代にかけて、グッチ帝国に君臨したのがマウリッツィオとパトリッツィアの夫婦。最後は権力欲から夫を暗殺したパトリッツィア、1995年のこと。
パトリツィアはまるで則天武后みたいだ。自らが皇帝の地位につくためあらゆる人を企てにより粛清していく。
但し、則天武后の時代、実は国情は安定していたという。
自らが手を出したデザインのバッグが全然売れなかったパトッリッツィアとは対照的だ。
優れた初代の事業を継承する難しさ、会社の私物化はいとも簡単に許されてしまうということを、このドラマのような事実が語っている。
90年代中頃から新しい資本の下で見事な復活をして”格”を取り戻したのは、創業者の築き上げたものが錆びついていなかった証なのかもしれない。

GUCCI NO.1 /1974
創業の精神と品格、イメージが損なわれていなかった初期、ギリギリの時代にこの香りは登場した。
調香師はエルメスのカレーシュやディオールのディオレッセンス、ロシャスのマダムロシャスなど60年代から活躍していたギーロベール。この人を起用している時点で、「香水をちゃんと創ろう」と取り組んでいたことがわかる。ギーの仕事はいずれも出がたく、それでいてどこかが必ず革新的なのだ。
おそらく、グローバルブランドまでライジングしたハウスにとって、「香水」を持つということは一つのステータスだったのだろう。「グッチの第一」という名からもそんな意気込みが感じられる。
カレーシュやマダムロシャスで発揮した優しいフローラルアルデハイドは健在で後から来るウッディやモッシーも始終、柔らかいフローラルに覆われている。それでも、ボディのしっかりした香り。
ここまでしっかりした処方になると、現代では再販は難しいかもしれない。

創業者へのリスペクト
そういうコンセプトがあったかどうかはもうわからない。けれど、皿洗いとして雇われたホテル・サヴォイで上流階級のエスプリを学び取り、英国から仕入れた鞄の販売と修理を商いにした時には鞄の構造やどこが壊れやすいかという具体的なノウハウを得るなど「すべてから学ぶ」ことを惜しまずしていた創業者の職人魂がこの香水「GUCCI NO.1」 の香調にも投影されてる気がしてならない。
混迷の時期を脱して今も、グッチの価値観を世界に誇れてるのは、創業者の濃密な学びの故と思える。
そう、GUCCI NO.1は優しくエレガントな香りなのに、底知れぬ「集中」を感じさせるのだ。

香り、思い、呼吸。

3月6日がお誕生日の方、記念日の方おめでとうございます。


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