俺らに過去などはない

高校生の時にTwitter上で仲の良かった、歳がいくつか上の男性に「会おう」と言われて実際に現実で会ったことがある。その頃はまだ不登校から通信制高校に進学したばかりで、他者とまともに話すことすら不安だったが、心を許せるような友達もほとんどいなかった分、ネット上にそれを求めていたり、それを飛び越えて現実でもそうなれるかもしれないという期待もあったのかもしれない。そんな思いを胸にいざ向かってみると、そこに現れたのは年上の男性ではなく、自分と同い年の小柄な女の子だった。詳細な理由までは忘れたが、彼女はネット上で自分を年上の男性と偽っていたのである。もう一人、同じくネット上で仲の良かった年上の女性と3人で会うということになっていたので、突如二人の女性に挟まれ、緊張のあまり、まともな会話もできなかったのを覚えている。その後もその二人とのやり取りは続き、やがて時を経て、自分は大学へ進学し、その時に現れた女の子に「バンドをやろう」と言われて、一緒に音楽をやることになった。きっと、Twitterでやり取りしてたのが最初から同い年の女の子だったら、会おうと言われても自分は(緊張してしまうため)会いに行かなかっただろうと思う。だが、その子がいなかったら、自分はバンドをやれていなかっただろう。つまり、彼女の虚構によって、自分の人生は大きく揺れ動いたということだ。それも、良い方向に。

寺山修司が劇団「天井桟敷」で1975年に阿佐ヶ谷で行った「ノック」という市街劇がある。かいつまんで説明すると、演劇がそもそも持っている舞台と客席、演者と観客という構造を、観客でもなんでもないあらゆる人々が生活する街の中を舞台にすることで、壊してしまおうという試みである。当時は言葉や表現によって、社会を変革するということが、本当に信じられていたことがわかる。なんてことのない日常に突如現れた異質な状況に、警察が駆けつけたり、住民からは苦情が噴出したらしい。いざそれらが始まると、現実と虚構の境目は曖昧になっていく。ある人にとっては、偶然目にしたこの光景が現実のものとして映り、記憶されていく。偶然行われたことでそれまでの日常は一変してしまい、それはなおかつ虚構であるかもしれない、ということを寺山は問いかけたわけだ。先に述べたように、事実として、自分は他者の虚構によって人生が変わっていった。それはごく些細なきっかけだとしても、自分の中でとても大きかったわけだ。

寺山修司が自分の人生や、表現において大切にしていたテーマの一つに「偶然性」というものがある。それは先に挙げた市街劇「ノック」にもよく表れているように、偶然性が大事であるということを寺山は都度都度、語っている。そんな寺山と三島由紀夫の有名な対談の中で、偶然を支持する寺山と、偶然を否定し、必然を支持する三島というところでぶつかる箇所がある。「必然性というのも偶然性の一つ」であるという寺山に対して三島は「必然性が神で、芝居のスピリット」であるという。三島がボディビルによって彫刻のように自らの肉体を鍛え上げたのも、不随意筋を無くし、つまり肉体から偶然性を排することで必然性の芝居を行うためだ。寺山はそれに対して、いつか自在筋も動かせなくなる日が来る、と指摘するも、三島はそういう日は絶対に来ない、と言い切る。結果として、この年の11月に三島は陸上自衛隊駐屯地にて割腹自殺をする。"そういう日"は結局こなかったわけだ。寺山が偶然性にこだわったのは、彼の患っていた病気が強く影響しているように思う。彼は青年時代にネフローゼに罹り、その後遺症で苦しみ、進んでいく肝臓疾患に対して、自分の死を意識するようになる。運命というか必然的に現れた死に対して、偶然性というものはそれらに対する抵抗の意味を持ったのだ。

大学生のとき、お世話になったゼミの教授が授業中に「誰にも言わずに勝手に死ぬのは、一番良くないことだ」といったようなことを話していたのを、自分が病気になった時にふと思い出した。それは授業で寺山修司と三島由紀夫の話をしているときだったと思う。その先生は寺山が大好きな人だった。寺山は、どんな状況でも自死を選ぶことはなかったのだろうと思う。一方、三島は自らの死をも、一冊の物語の結末を書くように、自らの手によってコントロールしたかったのだろう。自分は寺山の考えが好きだし、きっと自死を選ぶことはないと思う。しかし、自死というものが自分の理性や意識を超えて、衝動のように訪れてくるものだということも理解できる。その誰かに訪れた、乗り越えられなかった夜というものを、自分は完全には否定できない。それは病気になってより思ったことでもある。「幸福論」という本の中で寺山はあらゆる事物を偶然と必然に分けていて、それによれば「癌」は必然であるらしい。寺山が生きていた時代を経て、現代では癌は治らない病気ではないと言われてきているが、それでもそれを"必然"とする寺山の気持ちはわかる。自分も寺山のように、偶然性を手にあらゆる必然と戦っていくしかない。そしてそれは、寺山が、バンドを一緒に始めたその子が示してくれたように、可能なことである。

寺山が生前、しきりに言っていたのは「過去」は書き換え可能であるということだ。人生そのものが偶然であるのだから、書き換えられた過去もまた真実であるというわけだ。自分はこの言葉に、とても大きく救われた。The SALOVERSというバンドの「バンドを始めた頃」という大好きな曲がある。この曲を聞いていると、とても寺山的だなと思う。悪性リンパ腫になったことを、自分の物語にはしたくない。明日、抗がん剤の結果がわかるPET-CT検査がある。描いていない未来に、自分は今立っている。でも、それも偶然起こってしまったことなのだ。

白熱灯を消し窓を開けると
異国の風がそっと囁く
俺らに過去などはない


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