『ぼくは勉強ができない』


山田詠美さんの作品。
年上の桃子さんと付き合っている高校生の秀美。

秀美の意見はなるほどと思うことが多く、高校生でこれだけ世の中のことを見えているのがすごいと思った。
秀美の祖父の隆一郎の言葉がとても心に響いた。
桜井先生のように、生徒に良い影響を与えられる教師はとてもいいなと感じた。
吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』と似ているような気がした。

印象に残っている文

ぼくは、桜井先生の影響で、色々な哲学の本やら小説やらを読むようになったが、そういう時、必ず著者の顔写真を捜し出して来て、それとてらし合わせて文章を読む。いい顔をしていない奴の書くものは、どうも信用がならないのだ。

ぼくの祖父が、前に、ぼくに教えてくれたのだ。女に口を割らせたければ、誉めて誉めて誉めまくれ、と。

幸福に育って来た者は、何故、不幸を気取りたがるのだろうか。不幸と比較しなくては、自分の幸福が確認できないなんて、本当は、見る目がないんじゃないのか。

「時田、いいかい、世の中の仕組は、心身共に健康な人間にとても都合良く出来てる。健康な人間ばかりだと、社会は滑らかに動いて行くだろう。便利なことだ。でも、決してそうならないんだな。世の中には生活するためだけになら、必要ないものが沢山あるだろう。いわゆる芸術というジャンルもそのひとつだな。無駄なことだよ。でも、その無駄がなかったら、どれ程つまらないことだろう。そしてね、その無駄は、なんと不健全な精神から生まれることが多いのである」

自分は、こう思う。そのことだけでは満足出来ずに人の賛同を得ようとする種類の人間たち。その人々は自分の論理を組み立てた結果以外のものを認めない。どんな論理にも隙間があるのを信じようとはしない。隙なく組まれたものが、ある時には、呆気なく崩れてしまうというのを知らないのだ。

けれど、この世の中に、本当の無垢など存在するだろうか。

人には、視線を受け止めるアンテナが付いている。他人からの視線、そして、自分自身からの視線。それを受けると、人は必ず媚という毒を結晶させる。

「同情ってことを覚えると、優しい顔付きになるぞ。ただし、それは、ほんとに優しいってことと違うよ。一種のお芝居だ。同情仮面は便利だぞ」

「悪意を持つのは、その悪意を自覚したからだ。それは、自覚して、失くすことも出来る。けどね、そんなつもりでなくやってしまうのは、鈍感だということだよ。」

「いいかい、他人に可哀想という言葉を使う時、それを相手が望んでるかどうかを見極めなきゃ。たいていの場合、それは、相手をくじけさせる」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?